清光寺から登ると横堀が見え、それを越えたところの二郭と三郭はとても整備されていて、見学しやすいです。
二郭と三郭の堀切は南北で竪堀のようになって落ちています。
主郭や四郭以上は結構薮になっています。二郭から時計回りに見学するとまだ見学しやすいですが、反時計回りの水の手方面は足元が悪いです。
四郭西の堀切、ここから出曲輪を経て中ノ城へ城道が繋がっています。1.5キロと書いてあるけれど、そんなに距離はないと思います。途中道標は一箇所あり、ロープで大堀切を降りる箇所もあります。
林道を登ってくると東屋のある四郭下に木の城趾碑が見えてきます。林道は軽トラが登るような雰囲気です。
西に分厚い土塁のある三郭と東屋のある四郭間の堀切。案内板があります。
三郭からの半地下式の二郭、その向こうに浅い堀切があり、主郭があります。
半地下式になっているような二郭。礎石建物跡があり、土塁の内側には土留の石垣もあります。土蔵があったのではと考えられています。
竪堀もあり、鋭く高い城塁です。どういう用途なのか、石積みもあります。
登ってみると西ノ城や出曲輪方面がよく見える土壇です。
四郭の堀切から少し北西に進んだところにある出曲輪の五郭、主郭方面がよく見えます。ここに至るまでに畝状の土塁がありフォルムがカワイイ。 小川城、中ノ城、西ノ城とありますが、小川城で家康一行が泊まったとすれば、離れのこの五郭かな、と私は感じました。
小川城から中ノ城へ、城道が完存としているということで行ってみました。細尾根ですが一定の幅が確保してあり、畝状の土塁や大小の堀切があって面白いです。最後、中ノ城背後の大堀切に至ります。
深さが10メートルくらいの薬研堀の大堀切です。ロープが付いていて、横から安全におりれます。この南(小川城方面)もすぐ大きい堀切が二本あります。
山麓側にあり、広い削平地の南側に土塁が聳えている、いかにも居館風な中ノ城。家康が泊まったのはここだという説が有力みたいです。県道138号側からもすぐ登れ、道標も諸所にありました。
西ノ城東端には大堀切があります。降りるのを躊躇するサイズ。
清光寺から登ると横堀が見え、それを越えたところの二郭と三郭はとても整備されていて、見学しやすいです。 二郭と三郭の堀切は南北で竪堀のようになって落ちています。 主郭や四郭以上は結構薮になっています。二郭から時計回りに見学するとまだ見学しやすいですが、反時計回りの水の手方面は足元が悪いです。
高い土塁が北と東にある二郭、主郭側は二重堀切、南側も横堀があります。
左奥に三郭への虎口も見えます。
他の郭より高所にあり、とても広く切岸も高い主郭ですが、かなりの薮になってます。
もう一本西に堀切があり、二重堀切になっています。堀切は北側には竪堀になって落ちています。北側の谷部は水の手みたいで、沼や小川が見えます。 小川西ノ城は西側の主郭から四郭以降は結構薮になっていて、足元も悪いです。シカもたくさんいました。
小川城や中ノ城と県道138号線をはさんで反対側の清光寺の駐車場に登城口があります。ここから、5分もかからず城域です。 三城の中で一番城域が広く、曲輪も一つ一つが大きく技巧的です。
小川城跡から県道138号を南下、多羅尾代官屋敷(34.806717, 136.033689)の表門跡です。春秋に公開があり、カラー冊子も貰えます。 入場無料で、向かいに駐車場もありました。
大きい井戸はキレイな水を湛えていました。 建物が残っている古写真が敷地内に大きくパネル展示されていて、イメージが湧きやすくなっています。
案内板や古写真パネル展示など、整備されています。
陣屋内は庭園が二ヶ所あり、北庭園は枯れた池や立ち石が残っています。奥に代官蔵が見えます。
代官屋敷の西背後の山を登ると土塁囲みの砦があります。今は砦内部は墓地となっています。
石垣がよく残っています。 神君伊賀越では逃走を助け、伊賀甲賀の道中警護に尽力、江戸幕府が開かれると旗本に取り立てられます。 多羅尾一族の領地は4000石、信楽の大半を領有し、代官を務めるとともに、幕府の直轄領も治めました。
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