新バッジ「伊達21要害」を公開しました。
これは江戸時代の仙台藩で一国一城令以後も破却されずに維持された21のお城を集めたバッジです。
江戸時代に定められた一国一城令というのは例外も多く、たとえば前田氏(加賀・能登・越中)は金沢城と小松城の2城が、鳥取池田氏(因幡・伯耆)は鳥取城・米子城・倉吉城(陣屋扱)の3城が許されていました。逆に毛利氏(周防・長門)は二令制国で萩城のみなど、国持大名であっても必ずしも領国数と城の数が一致していませんでした。
さらに久保田城・大館城・横手城の3城を維持した佐竹氏のように藩領が広大な場合は統治を優先して一国で複数の城を持つことも許されています。
伊達氏の場合も居城の仙台城のほか、重臣・片倉氏が城主をつとめる白石城が幕府に認められていました(政宗の晩年には若林城も)が、さらに「城」を「要害(ようがい)」と呼び替えることで、多くの城郭を破却せずに藩領内各地の統治拠点として維持しました。
これらを総称して「伊達21要害」と呼びます。中世城郭をそのまま使っているので、すべて元々はお城でした。一時期、伊達政宗の居城としても使われた岩出山城は岩出山要害に、伊達成実が城主をつとめた亘理城は亘理要害に呼び名を変えています。
こうした事例は伊達氏だけではなく、島津氏(鹿児島藩)の「麓(ふもと)」や山内氏(高知藩)の「土居(どい)」など呼称は異なるものの、似たような対応をした藩はありました。
参勤交代制度もかなり柔軟な運用をしていたことを以前「日本史の知識をアップデートするための勉強会」で知りましたが、江戸幕府は外様の大藩に対してけっこう甘かったのかもしれません。そのあたりについても今後、学んでいければいいですね。
過去にも「阿波九城」や「筑前六端城」などのバッジを公開してきましたが、地域の歴史を知る上でこういうバッジは大切だと思います。
ほかにも戦国時代には「菊池十八外城」や「尼子十旗」「尼子十砦」などがありますね。最終目標は「伊東氏四十八城」ですが、位置情報が不明のお城がいくつかあったはず。
そういえば岩村城の戦いで武田勝頼の軍勢によって落城した「遠山十八支城」も過去に中津川市苗木遠山史料館に問い合わせたことがありますが、「16まではほぼ確定しているものの......」という感じで残り2つが不明のため保留になっています。
このあたりも研究や現地調査が進み、位置が特定されたら順次バッジ化していきましょう。
なおこのバッジには暫定登録のお城が多数含まれています。日本最大の城郭DB構築プロジェクトルームで日々データベースの登録作業を手伝ってくださっている、多くのボランティア団員のみなさんにこの場を借りて深くお礼を申し上げます。ありがとうございます。
toproadさんが城がたり「よくわかる小牧山城」を企画してくれました。愛知県小牧市と調整してくださり、学芸員の方にZoomで話していただけることになりました。小牧山城の歴史、発掘調査の成果など、いろんな話が聞けると思いますのでぜひご参加ください。
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