いよいよ年明け1月8日(日)から大河ドラマ「どうする家康」がスタートします。
それにあわせて榎本先生に新連載を毎週書いていただけることになりました。題して「家康の謎」ーーベタなタイトルですが、家康はいままさに多くの先生方の研究によって謎が解き明かされ、イメージが塗り替えられつつある人物でもありますので(革新的なイメージからじつは保守的だったと近年改められつつある織田信長のように)最新の学説なども紹介していければなと思っています。
ある意味で徳川家康の一生は「桃太郎」や「シンデレラ」などと同じように日本人の大半はなんとなく語れると思います。
でもその内容は織田家や今川家で人質として過ごし、秀吉の嫌がらせでど田舎の江戸に左遷されて......と古い知識のままで止まっている人が多そうです。
たとえば本日公開した第1回目では通説の「今川家に人質として移送される途中で拉致されて織田家に売り渡された竹千代」のエピソードがどうも疑わしい、どうやら松平広忠が織田信秀に岡崎城を攻められ、降伏する証として竹千代を人質に出したという説が紹介されています。
こんなふうに榎本先生には従来説も踏まえながら解説していただいてます。
もちろんいまだにわからないことも多いのですが、みんなで楽しく徳川家康の知識や認識をアップデートしていきましょう。
最後に榎本先生からコメントをいただけたのでご紹介します!
toproadさんが城がたり「よくわかる小牧山城」を企画してくれました。愛知県小牧市と調整してくださり、学芸員の方にZoomで話していただけることになりました。小牧山城の歴史、発掘調査の成果など、いろんな話が聞けると思いますのでぜひご参加ください。
つづきを読む昨年に続いて第6回目となる団員総会を開催したのでレポートを書きました。今年は去年と同じ会場でしたが、内容はかなりアップデートしています。とくに「お城ビンゴ」は盛り上がったので、今後の定番ゲームにしていきたいですね。来年はさらに多くの団員と集まりたいです。
つづきを読む美濃守護・土岐氏の庶流である久々利氏の居城、久々利城にも攻城団のチラシを置いていただきました。可児郷土歴史館と久々利地区センター、さらに可児市観光交流館で入手可能です。
つづきを読む小栗信濃守によって築かれた本陣山城(御嵩城)にも攻城団のチラシを置いていただきました。「東美濃の山城を制覇せよ!」キャンペーンの缶バッジ受取場所でもある、御嶽宿わいわい館で入手できます。
つづきを読む土岐明智氏の居城であり、戦国時代にはその一族である妻木氏の居城になった妻木城にも攻城団のチラシを置いていただきました。もとてらす東美濃で入手できます。
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徳川家康ほどよくわからない人もそうそういない。
このように書き始めると、もしかしたら「あなた、3年前の『麒麟がくる』のときも似たようなこと言ってませんでした?」とツッコミが入るかもしれない。全くおっしゃる通りなのだが、家康と光秀ではかなり事情が違うのだ。
光秀がなぜよくわからないかといえば、情報が少ないからだ。どこで生まれたのか、どのように成長したのか、織田家中で何を考えていたのか、そしてなぜ本能寺の変を起こしたのか。信頼できる史料がほとんどなく、それゆえに謎めいて、また魅力的だった。
一方、家康はどうか。これは全く逆で、情報は無数にある。全く信用できない伝説俗説戦記の類から、比較的信用できる一次史料、そして徳川の公式史料までよりどりみどりだ。そしてそれ故にどの情報を信用するか、どれを採用しないかで家康の人物像はガラッと変わる。臆病者、策謀家、律儀者......。
また、家康は名のある戦国大名の中でも長生きであり、立場が何度も変わった人物でもある。結果どうなるかといえば、時期ごとに別人とも言えるような顔を見せてくることになる。時間の経過や立場の変化で「人が変わる」のは当たり前だが、わたしたちはついつい歴史上の人物に変わらぬ人格を期待したくなり、結果として当人を見失う。家康はその典型のケースと言っていいだろう。
そして極め付けが、「家康は天下人である」ということだ。約250年に及ぶ太平の時代を招来した徳川家康は日本史に燦然と輝く大偉人であり、それ故に家康について語られる言葉はどうしても飾られたり、あるいは何かしら別の目的を持たざるを得なくなる(家康の存在に仮託して理想の君主を語る、など)。これでは家康本人を見つけられるわけがない。
......これらの事情に加えて、家康個人がどうもわかりにくい人であるようにも思える。同じ天下人でも、信長・秀吉はもう少しわかりやすい。近年の研究で軍記・伝説の影に隠れた当人の人格が少しずつ明らかになり、大河ドラマでも反映されているように思えるからだ。しかし、家康は近年の研究でもまだ「本当はこういう人だった」が見えてこないように思えるのだ。
そんな家康を、「どうする家康」はどう描くのか。歴史ファンとして忌憚のないところを喋らせていただければ、「どうする家康」以上に「どうするNHK」というのが正直なところである。楽しみに一年間を過ごすことができそうだ。そして、その楽しさが、本連載にも反映できれば幸いである。