本日から榎本先生の連載「『籠城』から学ぶ逆境のしのぎ方」をブログで公開していきます。
この連載も過去に出版された『籠城 戦国時代に学ぶ逆境のしのぎ方』(宝島社新書)をもとに再編集したものです。
戦国時代の魅力のひとつは合戦にあり、その合戦でも攻城戦はドラマにあふれています。
とくに籠城する側の過酷さは「三木の干殺し」や「鳥取の飢え殺し」に代表されるように数多く語り継がれており、またその一方で上田城における真田家のように見事に撃退したケースもあります。
籠城戦に敗れて一族が滅亡した者たち、敵を追い返して名を挙げた者たち、その差はどこにあったのか、絶対的ピンチである籠城戦の勝敗を分けたのはいったいなんだったのかを40の事例をもとに読み解いていきます。
現代社会でもいつのまにか巻き込まれてしまって、気づけば大ピンチということはありますが、そんなときに少しでも冷静さを保てるようにいろんな歴史の物語を知っておくのはいいかもしれません。
最後に榎本先生からコメントをいただけたのでご紹介します!
【「籠城」から学ぶ逆境のしのぎ方】城の分類と歴史①――古代の集落から、拠点としての城ヘ - 攻城団ブログ - お城や歴史のおもしろくてためになる記事がいっぱい!
土に成ると書いて城――という説明を聞いことがある人も多いと思いますが、城とは基本的に土塁と空堀によって築かれていました。ただそう単純な話ではなく、城の歴史を振り返ってみると、環濠集落・古代山城・城柵といった城のルーツにあたるものから、鎌倉時代には武士の居館が登場し、さらにゲリラ専用に山城なども築かれました。
toproadさんが城がたり「よくわかる小牧山城」を企画してくれました。愛知県小牧市と調整してくださり、学芸員の方にZoomで話していただけることになりました。小牧山城の歴史、発掘調査の成果など、いろんな話が聞けると思いますのでぜひご参加ください。
つづきを読む昨年に続いて第6回目となる団員総会を開催したのでレポートを書きました。今年は去年と同じ会場でしたが、内容はかなりアップデートしています。とくに「お城ビンゴ」は盛り上がったので、今後の定番ゲームにしていきたいですね。来年はさらに多くの団員と集まりたいです。
つづきを読む美濃守護・土岐氏の庶流である久々利氏の居城、久々利城にも攻城団のチラシを置いていただきました。可児郷土歴史館と久々利地区センター、さらに可児市観光交流館で入手可能です。
つづきを読む小栗信濃守によって築かれた本陣山城(御嵩城)にも攻城団のチラシを置いていただきました。「東美濃の山城を制覇せよ!」キャンペーンの缶バッジ受取場所でもある、御嶽宿わいわい館で入手できます。
つづきを読む土岐明智氏の居城であり、戦国時代にはその一族である妻木氏の居城になった妻木城にも攻城団のチラシを置いていただきました。もとてらす東美濃で入手できます。
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私たちは戦国時代に対して、様々なイメージをもっています。雄雄しく戦う武士たち、戦乱に苦しみながらもしたたかに生きる庶民たち、もしくはきらびやか衣服を身にまとう女性たち。
その中でも、防御施設であり、居住施設であり、統治施設である「城」という存在はかなりのウェイトを占めているのではないでしょうか。馬に乗って刀や槍や弓で活躍する武士の姿と同じくらい、そびえ立つ「城」とそれをめぐる「籠城戦」は戦国乱世を代表する存在といっていいかと思います。
城には様々な物語が秘められているものです。
なぜ城は作られた? 普段はどのように使われていた? いざ合戦となった際、守り手はいかに城を活用し、攻め手はいかに城を無力化した? という具合ですね。
誰だって簡単に死にたくはないし、どんな大名だってやすやすと敗れたくはありません。けれど、籠城せざるを得ない状況というのは、たいていの場合その時点ですでに逆境です。敵のほうが数が多い、あるいは敵地の中にポツンと孤立しているような状況で、敵が諦めるまで、味方が駆けつけるまで、どうにか逆境をしのいでいかなければならないのですから。
城を築くという行為には多様な知恵が活かされ、城をめぐる攻防は苛烈なものになります。そこで生まれるものこそ、戦乱の時代ならではの生き生きとした人間ドラマなのです。
本書は、基本的には城に籠もって守る側の視点に立ちつつ、城と籠城戦の姿に迫っていく本です。というのも、一般的なイメージにおける城と、実際の戦国時代の城は、かなりの部分で違っているからです。
たとえば、城というのは白亜の建物とうず高い石垣、広い水堀を擁するものだと思うかもしれません。江戸城、大阪城、姫路城といった現代私たちが見ることのできる有名どころの城の多くがそうだからです。しかし、このような「石の城」は戦国時代も後期に入ってから発達したもので、土塁(土の壁)と空堀(水のない堀)によって囲まれた「土の城」のほうが長い間のスタンダードでした。
城の象徴として有名な高層建築「天守閣」も戦国時代後期にならないと登場しませんし、実はその天守閣自体が一般にイメージされる「お殿様の住居」などではなかったりします。
そもそも戦国時代の城自体、多くが住居というよりは戦争のための防御施設であって、武将は普段別の場所で生活をしていたりするものだったといいます。
どうしてこんなにもイメージと異なるのでしょうか? それは一般的に想像される「城」は基本的に戦国の城ではなく、戦国時代末期~江戸時代初期に築かれた近世の城だからです。白亜、石垣、水堀、天守閣という要素も基本的には近世城郭のそれであって、戦国の城とは少なからずかけ離れています。
戦うために山の上に築かれた戦国の城は江戸時代のはじめ頃に役割を失い、徹底的に破壊されました。代わって残ったのは「近世の城」です。そのため(攻城団の読者の皆さんには釈迦に説法かもしれませんが)戦国の山城を訪ねてみると、しばしば現地の人から「こんなところに城はないよ」と言われたり、あるいは別の場所にある近世の城の跡のほうを教えられたりするのだそうです。
これは仕方がないことでもありますが、やっぱり残念でもあります。
戦国乱世の時代に築かれた城々には、テーマパーク化・公園化した城にはないものがきっとあるものです。それこそ、籠城という逆境に晒された武将と兵たちの「生き残りのドラマ」にほかならない、と私は考えているのですが、いかがでしょうか。
本連載は大きく分けて二部構成となっています。
前半では「戦国時代の城とはどういうものだったのか?」という疑間に迫っていく形です。城の分類や変遷、そして守る側と攻める側がそれぞれどのように戦ったのか、というポイントをなるべく簡潔に、わかりやすく紹介していきます。
後半では「具体的に、どんな城があり、そこではどんな合戦が行われたのか」をのべ四十の城と合戦で紹介します。多種多様なエピソードを通して、戦国時代の城と籠城戦の真実に迫っていきたいと思います。
これらの各種情報やエピソードを通して、戦国武将たちがいかに「籠城戦」という逆境の中で必死に戦い、生き残りを図ったか、というポイントを追いかけていくのが本書の目的です。
本連載では戦国時代の始まりを室町幕府・足利将軍の権威が決定的に失墜したとされる1493年(明応2年)の「明応の政変」とし、その終わりを豊臣氏が滅亡した1615年(慶長20年)の「大坂夏の陣」とします。この区分ではいわゆる「安土桃山時代(織豊時代)」および江戸時代の初期も内包しますが、わかりやすさを追求してこのようにしますので、ご了承ください。
また、本連載は2011年(平成23年)に宝島新書から刊行した『籠城 戦国時代に学ぶ逆境のしのぎ方』を底本としています。