(この記事は2011年2月に自分のブログに書いたものを転載したものです)
鳥羽城は1594年(文禄3年)に当時、豊臣秀吉の家臣であった九鬼嘉隆が築城しました。
九鬼水軍の城だけあって、船を横付けできるように大手門が海側へ突出して築かれていたそうです。
(そのため「鳥羽の浮城」とも呼ばれます)
とりあえず鳥羽水族館を目的にいくと大丈夫です。
鳥羽水族館の裏手にある低い丘が鳥羽城になります。水族館側から歩いていくと線路(近鉄)をこえて、さらにトンネルをくぐって少し歩くと見えてきます。
この「左三つ巴」は九鬼氏の家紋ですね。
ただし九鬼嘉隆の頃は「七曜紋」を描いた船旗を掲げて戦ったそうですね。嘉隆の子どもである守隆の代に「左三つ巴」紋になったようです。
ちなみにここが三の丸です。
ここから本丸まではこの小高い丘をのぼることになります。
これが中腹にある二の丸です。
本丸跡までふつうに歩くと15分〜20分くらいはかかると思います。
野球場になってましたが、石垣は残ってました。
最後に周辺マップです。
より大きな地図で 鳥羽城周辺マップ を表示
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