(この記事は2011年8月に自分のブログに書いたものを転載したものです)
関白・豊臣秀次のお城だった近江八幡城(八幡山城)にいってきました。
山頂まではロープウェーでのぼります。岐阜城みたいな感じだけど、あそこよりは距離が短く、傾斜もなだらかですね。

「『江』の影響で観光客は増えてるの?」っておじさんに聞いたら「ぜんぜん増えてない」っていってました。
まあここは城址としてもなんにもないので、よほどのマニアでもなければわざわざ来ないと思うんだけど、そうはいっても関白のお城ですからね。
いちおう推してます。
残ってるのは石垣くらいで、あとはなんにもなかったです。天守はあったみたいなんですけどね。
北の丸からは安土山が見えます。となりの観音寺山も。真正面に見えてる山が安土山で、ここに安土城がありました。
もっともこの城は本能寺の変よりも後につくられているので(小牧長久手の戦いの翌年である1585年)、ここから安土城を見ることはなかったんですけどね。
それにしても、この時代に山城は珍しいです。しかも織豊時代には居住空間が一体になってた城が多い中で、この近江八幡城はふもとに居館、山頂に城と別々になってたそうだけど、それは徳川家や北条家といった東国大名への牽制の意味合いがあったみたいですね。
まだこの時代は戦国時代の真っ最中で「戦う城」だったんですね。
ちなみに小田原征伐の軍功で清洲城に入った豊臣秀次のあとは、初(江のお姉さん)の旦那である京極高次が入るんですけど、北条家が滅んでいるので実質的な意味もなく、すぐに大津城に移ってます。その後は廃城になりました。
こういう「歴史の連続性」を学ぶとすごくおもしろいんですよね。勢力図が変われば、城の持つ意味も変わる。ただの石垣しか残ってない山城跡が、歴史に大きく関わったことがよくわかりますね。
あと、ぼくはお城と並んでロープウェーも好きなので、こういう「山城×ロープウェー」ってのはひと粒で二度おいしい感じです。
ふもとにある有名なお菓子屋さん(たねや、クラブハリエ)に夢中で、有名な「八幡堀」を見逃しちゃったのですが、城下町も残っているそうなので、またあらためて訪問してみようと思います。
居館跡の八幡公園には豊臣秀次の像があるみたいですしね。
こういう大事なスポットの見逃しをなくすために「攻城団」をつくって、ちゃんと事前に(もしくは現地で)情報をチェックできるようにしたいんですよね。
江馬時盛が築城し、のちに飛騨一国を与えられた金森長近が大改修をおこなった神岡城にも攻城団のチラシを置いていただきました。高原郷土館で入手できます。
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