博多市内にある福岡城は黒田如水(黒田官兵衛/黒田孝高)が築いた城です。
ちょうどいまの大濠公園のあたりにあった城で、石垣以外にも櫓や門がいくつか残っています。
残念ながら雨が降ってきていたのですが、先週熊本に出張した帰りに寄ってきました。
それでは写真で振り返ってみますね(毎度のことですが写真は多めです)。
今回は電車での攻城です。 博多駅から地下鉄で大濠公園駅までいきます(250円)。 5番出口から地上に出ると、すぐにお堀が見えます。 そのまま前方に向かって歩くと建物が見えてきます。 門のようですね。 すぐそばに道路もあるのですが、歩行者用の道も用意されていました。 これは「下之橋御門」です。黒田長政が築いたそうですね。 (これは2008年11月に復元されたもの) 門をくぐって、そのまま坂をのぼったあたりがちょうど三ノ丸にあたります。 黒田官兵衛の隠居後の屋敷がこのあたりにあったらしく、看板がありました。 いまは植物園になってますが、脇道を少し入ります。 ありました。 ちなみに黒田官兵衛は福岡城の完成を待たずに亡くなっているんですよね。 では元の道に戻って、さらに進みます。 右手(さっきの脇道のすぐそば)に建物があります。なんだろう。 最初トイレかと思ったのですが、なんとこれが母里太兵衛(ぼりたへえ、正式には母里友信)の屋敷にあった長屋門だそうです。 それをここに移築したので、ちょっと唐突な感じがしたんですね。 この母里太兵衛は「黒田節」に謡われる名槍「日本号」を福島正則から呑み獲った逸話でも知られてますね。 (この豪快なエピソードは「信長の野望」でもイベントとして出てきてました) さらに坂をのぼると、舞鶴中学校の案内が出てます。 少しだけ右手に入ると、「名島門」があります。 ちなみにこの向こう側はこんな感じです。左手にあるのが舞鶴中学校で、まっすぐいけば大濠公園になります。 このへんはジョギングコースになってるみたいで、多くのランナーが走ってました。 もとの道に戻って、もう少しだけ進むと道路の反対側に「舞鶴公園」の案内が見つかります。 福岡城跡の看板、石碑もありますね。 そこから入っていきます。これは松ノ木坂というらしいですよ。 こんな感じに福岡城はあちこちに案内板があって、とても親切なつくりでした。 坂をのぼると二手にわかれます。左側に進んでみましょう。 ちょうどこのあたりが二ノ丸です。 その先にある石段は、当時の「表御門」になります。 ちなみに表御門は黒田家の菩提寺である「崇福寺(博多区千代)」に移築されていて、いまでも見れるそうです。 今回は見にいけなかったので、次回の楽しみにとっておきます。 この先が本丸、さらには天守となるわけですが、長くなったので今日はここまでにしますね。 明日の更新をお楽しみに!毎月恒例の月次レポートを公開します。台風や大雨でなかなか出かけられない日が続いていますが、もう少ししたら出かけやすい行楽シーズンがやってくるのでぼくも遠出を計画中です。では今月も攻城団をよろしくお願いします!
つづきを読む訪問ガイドに緯度経度が入力されていた場合の地図の表示方法を変更しました。画面遷移せずポップアップで確認できるようになったのでかなり便利だと思います。
つづきを読む攻城記録を残す際の公開用のメモ欄の名称を「共有メモ」から「訪問ガイド」に変更しましたので、その理由などを説明します。
つづきを読む歴史的にも有名な水攻めの舞台でもある、備中高松城にも攻城団のチラシを置いていただきました。城址にある備中高松城址資料館で入手できます。
つづきを読む今年も団員総会を開催します! 11月16日(土)に昨年と同じ京都アスニーの大きな和室を借りたのでぜひご参加ください。
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