松尾城は小笠原三家のひとつ、松尾小笠原氏の居城として知られています。小笠原貞基は府中小笠原氏の小笠原長朝と信濃守護および小笠原惣領職の座を争ったが敗れ、甲斐国に逃れて武田信玄に臣従しました。1554年(天文23年)の武田氏による伊那侵攻では小笠原信貴・信嶺父子が信濃先方衆として活躍し、松尾城主に復帰しました。信嶺はその後、織田信長の甲州征伐では織田氏に降伏し、さらに「本能寺の変」後には徳川氏の家臣となっています。徳川家康の関東移封にともない本庄城に移り、松尾城は廃城となりました。現在、城跡は松尾鈴岡公園として整備されています。
松尾城を訪問した111人の報告によれば、平均見学時間は21分、平均評価は2.92点となっています。
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松尾鈴岡公園駐車場(20台)
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三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。
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