沼城は宇喜多直家の舅である中山信正によって築かれた城です。信正は1559年(永禄2年)、直家によって謀殺され、その直家はのちに金光宗高をも謀殺して岡山城に居城を移すまで、沼城に14年間在城しました。1602年(慶長6年)、岡山に移封された小早川秀秋によって廃城となりました。現在、弁財天神社が奉られている小山が本丸跡で石碑が立てられられています。また浮田小学校の北側にある小山が西の丸跡です。
沼城を攻城した団員が残してくださったクチコミ(レビュー)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
沼城に関するデータ 情報の追加や修正
30 m( 30 m)
内郭:-- 外郭:--
天守が岡山城に移築され大納戸櫓として利用されたが明治維新後に破却された。
中山信正
着工 天文年間(1532年〜1555年)
1602年(慶長6年)
中山氏、宇喜多氏
土塁、空堀
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 平山城 |
標高(比高) | 30 m( 30 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
天守縄張、天守形式 | |
天守の階数 | |
天守の種類 | 非現存天守 天守の分類 |
天守の高さ | |
天守台石垣の高さ | |
天守の広さ(延床面積) | |
天守メモ | 天守が岡山城に移築され大納戸櫓として利用されたが明治維新後に破却された。 |
築城主 | 中山信正 |
築城開始・完了年 | 着工 天文年間(1532年〜1555年) |
廃城年 | 1602年(慶長6年) |
主な改修者 | |
主な城主 | 中山氏、宇喜多氏 |
遺構 | 土塁、空堀 |
指定文化財 | |
復元状況 |
更新日:2023/12/04 03:32:47
沼城へのアクセス情報 情報の追加や修正
なし
項目 | データ |
---|---|
アクセス(電車) |
|
アクセス(クルマ) |
|
駐車場 | なし |
じっさいに訪問した方の正確な情報をお待ちしています。
あなたが泊まったホテルのレビューをお願いします!(レビューはホテルの詳細ページから投稿できます)
沼城について参考になると思われるインターネット上の情報へのリンクです。すべて別ウィンドウが開いて表示されます。
まだトピックがありません(情報募集中)
まだ本城登録している団員がいません
攻城団のアカウントをフォローすれば、SNS経由で最新記事の情報を受け取ることができます。
(フォローするのに攻城団の登録は不要です)
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する