福島城は戦国時代までは大仏城、杉目城とも呼ばれていました。1591年(天正19年)の豊臣秀吉による奥州仕置で蒲生氏郷の客将・木村吉清が大森城へ入りましたが、その後杉目城へ居城を移した際に福島城と改称しています。南側を流れる阿武隈川を天然の堀として築かれた要害の城で、かつては伊達政宗の祖父、伊達晴宗が家督を輝宗に譲った後に隠居城とするなど、伊達氏と深いつながりのある城です。現在、城址一帯には福島県庁があり、庭園跡は知事公館向かいの「紅葉山公園」となっています。
福島城を訪問した217人の報告によれば、平均見学時間は24分、平均評価は2.57点となっています。
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三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。
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