久々利城は美濃守護・土岐氏の庶流、久々利氏の居城です。1565年(永禄8年)、東美濃に侵攻した織田信長は金山城主として森可成を置き、久々利氏はその配下となりましたが、「本能寺の変」で信長が討たれると、久々利頼興ら国人衆は可成に対して一斉蜂起します。しかし森長可によって鎮圧され、その後は森氏の番城として機能したようです。「関ケ原の戦い」後、森忠政が松代に転封となるとともに廃城となりました。城址は整備されており堀切や土塁などの遺構を見ることができます。また山麓には可児郷土歴史館が建てられています。
目次
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190 m( 60 m)
内郭:-- 外郭:--
土岐康貞
着工 延元、正平年間(1336年〜1370年)
1601年(慶長5年)
土岐氏、久々利氏、森氏
土塁、堀、曲輪、井戸、石碑
県史跡
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 190 m( 60 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 土岐康貞 |
築城開始・完了年 | 着工 延元、正平年間(1336年〜1370年) |
廃城年 | 1601年(慶長5年) |
主な改修者 | |
主な城主 | 土岐氏、久々利氏、森氏 |
遺構 | 土塁、堀、曲輪、井戸、石碑 |
指定文化財 | 県史跡 |
復元状況 |
更新日:2024/03/28 14:40:30
久々利城へのアクセス情報 情報の追加や修正
可児郷土歴史館駐車場
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | 可児郷土歴史館駐車場 |
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