苅安賀城は織田信長の赤母衣衆のひとり、浅井政高によって築かれた城です。政高の子、浅井田宮丸長時は織田信雄の三家老のひとりでしたが、羽柴秀吉に内通したと疑われ信雄によって討たれると、信雄は、長時を討った森久三郎を城主としました。直後の「小牧長久手合戦」では、信雄・家康軍の前線基地として、尾張西部を固める重要な役割を果たしました。また1590年(天正18年)の「小田原城攻め」の際には、尾張の警備として小早川隆景の手兵が居城したそうです。現在城址に遺構はなく、苅安賀自動車学校の脇に石碑が建てられています。
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おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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