黒田城は山内一豊の父、山内但馬守盛豊の居城で、一豊の生誕地と考えられている城です。盛豊は岩倉城主・織田伊勢守信安の家老として仕えていましたが、1557年(弘治3年)に織田信長に攻められ落城しました。その後は城主がたびたび替わり、1590年(天正18年)には小田原征伐の際に討死した一柳直末の弟で家督を継いだ一柳監物直盛が入り、3万石で黒田藩を立藩しました。現在城址は黒田小学校と周辺の住宅地となっており、小学校の北側を流れる川は堀跡と推定されています。また小学校の西にある木曽川資料館には山内氏に関する資料が展示されており、北東にある法蓮寺は山内氏の菩提寺で盛豊と一豊の兄で長男の十郎の墓が残っています。毎年9月には一豊を顕彰する「木曽川町一豊まつり」が開催されます。
目次
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内郭:-- 外郭:--
天守に相当する櫓があったとされるが詳細は不明。
五藤源太左衛門光正
着工 明応年間(1492年~1501年)
1601年(慶長6年)頃
一柳直盛
後藤氏、山内氏、和田氏、沢田氏、一柳氏、富永氏
市史跡
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 平城 |
標高(比高) | --( -- ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
天守メモ | 天守に相当する櫓があったとされるが詳細は不明。 |
築城主 | 五藤源太左衛門光正 |
築城開始・完了年 | 着工 明応年間(1492年~1501年) |
廃城年 | 1601年(慶長6年)頃 |
主な改修者 | 一柳直盛 |
主な城主 | 後藤氏、山内氏、和田氏、沢田氏、一柳氏、富永氏 |
遺構 | |
指定文化財 | 市史跡 |
復元状況 |
更新日:2024/04/28 14:16:28
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 |
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