木曽福島城は木曾義康によって築かれた城です。平時は、上の段城を館とし、山城を詰の城としていました。義康の子、義昌は武田信玄の娘を娶っていましたが、武田勝頼の時代になると織田信長に通じ、1582年(天正10年)勝頼が侵攻すると、信長に援軍を請い鳥居峠で破っています。その後、徳川家康とともに関東に移封され、城は廃城となりました。
目次
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1050 m( 250 m)
内郭:-- 外郭:--
木曽義康
着工 天文年間(1532年〜1555年)
1598年(慶長3年)
木曽氏
土塁、堀、石碑
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 1050 m( 250 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 木曽義康 |
築城開始・完了年 | 着工 天文年間(1532年〜1555年) |
廃城年 | 1598年(慶長3年) |
主な改修者 | |
主な城主 | 木曽氏 |
遺構 | 土塁、堀、石碑 |
指定文化財 | |
復元状況 |
更新日:2023/12/08 03:28:23
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) | |
駐車場 |
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歴史好きな方であっても「世界史」と言われるとカタカナ文字だらけだったり、地域を跨ぐ国がいくつも栄衰したりで手が出し難いと思います。
一方「鉄砲伝来」とか「日本銀」のお話と言うと、ここ最近のテレビ番組でも特集が組まれたりしているので、もっと詳しく広い範囲で知りたい方もいらっしゃるのではないでしょうか?
この本は対馬や琉球などの「日本と海外の境界地」を中心とした戦国期の歴史から民族の流れや需要と供給の変化などを知ることが出来ますよ。
なので読み進め方は最初から読むよりも興味のあるキーワードがある章から読み始め、最後に全体を通して読むのが良いと思います。
個人的なおすすめは第6章でざっくり言うと、豊臣秀吉の朝鮮出兵の本当の目的は?その結果世界(特にアジア圏)はどう変わったか?のお話です。
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