相馬中村城は相馬氏の居城として知られています。平安時代初期に坂上田村麻呂が奥州鎮撫のために城を築いたのが最初と伝えられており、南北朝時代から戦国時代初期までは中村氏の居城でした。その後、相馬氏の勢力が増すと、相馬盛胤は本城である小高城に加えて、この中村城に城代を置いて伊達氏と抗争を繰り返しました。1611年(慶長16年)、盛胤の孫である利胤の時代に、本城を中村城に完全移転し、中村藩6万石の政府にふさわしくなるよう近世城郭に改修しています。現在は馬陵公園として整備されており、大手門のほか石垣や土塁、堀が現存しています。また公園内にある相馬中村神社は旧相馬氏領(浜通り夜ノ森以北)で毎年7月23日から3日間つづけて行われる「相馬野馬追」の祭場地のひとつになっています。
目次
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23 m( 15 m)
内郭:-- 外郭:--
1611年(慶長16年)、相馬利胤の時代に天守が築かれた。1670年(寛文10年)に落雷により焼失したが、時の4代藩主・貞胤は藩政を優先し天守を再建せず、以降の藩主も再建しなかった。
坂上田村麻呂
着工 延暦年間(800年頃)
1871年(明治4年)
中村氏、相馬氏
大手門、石垣、土塁、堀
県史跡
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 梯郭式 |
縄張形態 | 平山城 |
標高(比高) | 23 m( 15 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
天守縄張、天守形式 | |
天守の階数 | |
天守の種類 | 非現存天守 天守の分類 |
天守の高さ | |
天守台石垣の高さ | |
天守の広さ(延床面積) | |
天守メモ | 1611年(慶長16年)、相馬利胤の時代に天守が築かれた。1670年(寛文10年)に落雷により焼失したが、時の4代藩主・貞胤は藩政を優先し天守を再建せず、以降の藩主も再建しなかった。 |
築城主 | 坂上田村麻呂 |
築城開始・完了年 | 着工 延暦年間(800年頃) |
廃城年 | 1871年(明治4年) |
主な改修者 | |
主な城主 | 中村氏、相馬氏 |
遺構 | 大手門、石垣、土塁、堀 |
指定文化財 | 県史跡 |
復元状況 |
更新日:2024/04/27 03:28:40
項目 | データ |
---|---|
アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | 馬陵公園駐車場(無料) |
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