西平城跡は南信濃の国衆である小笠原彦次郎貞長が居城・久米ケ城の西の守りを固めるために築いた支城とされます。その後、武田勝頼が敵対する織田・徳川氏に対する防衛拠点(境目の城)として整備しました。しかし1582年(天正10年)の織田軍による武田領侵攻が開始されると、在陣していた松尾城主・小笠原信嶺が織田方に寝返り落城したと考えられています。現在城址には土塁や堀切、竪堀などの遺構を確認することができます。また登城口は浄玄寺の墓地にあります。
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805 m( 155 m)
内郭:-- 外郭:--
小笠原貞長か
着工 貞和年間(1345年〜1350年)か
1582年(天正10年)
小笠原氏
曲輪、土塁、竪堀、横堀、堀切、枡形虎口、石積
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 805 m( 155 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 小笠原貞長か |
築城開始・完了年 | 着工 貞和年間(1345年〜1350年)か |
廃城年 | 1582年(天正10年) |
主な改修者 | |
主な城主 | 小笠原氏 |
遺構 | 曲輪、土塁、竪堀、横堀、堀切、枡形虎口、石積 |
指定文化財 | |
復元状況 |
更新日:2024/04/26 03:56:49
項目 | データ |
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アクセス(電車) | |
アクセス(クルマ) |
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駐車場 | 浄玄寺駐車場 |
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おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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