久慈城は久慈氏代々の居城として知られています。久慈修理助治政の養子で12代・久慈備前守信実による築城とされていますが定かではありません。その後、戦国時代の1591年(天正19年)9月に久慈備前守直治は九戸信仲の三男である中務政則を娘婿としたため、「九戸政実の乱」において九戸政実に味方して九戸城に籠城することとなります。しかし降伏すると政実とともに豊臣秀次の陣で処刑され、久慈氏は滅亡しました。その後、久慈城は南部信直の直轄下におかれることとなりましたが、翌年には破却されています。なお久慈直治の父・信義の弟である十郎が出奔して、のちの津軽為信になったという説もあります。現在城址には本丸跡や空堀などの遺構が残っており、公民館前に案内板が建てられています。山麓にある慈光寺には久慈氏の後裔である摂待久慈氏の墓碑や念仏碑が現存しています。
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