酒解神社(さかとけじんじゃ)は天王山の9合目付近に鎮座する神社です。
正式名称は「自玉手祭来酒解神社(たまでよりまつりきたるさかとけじんじゃ)」といいます。
酒解神社(自玉手祭来酒解神社)
その創建は奈良時代にまで溯るといわれ、平安時代の延喜式神名帳にも月次、新嘗の官祭を受ける名神大社であることが記されている。神名帳によると旧名を山崎社と称し、元正天皇の養老元年(七一七)建立の棟札があったという。
- 祭神
- 酒解神・素戔嗚命他九柱
- 祭例
- 五月五日
- 文化財
- (重文)板倉造神輿庫
中世には山下の離宮八幡宮の勢力が強大となり、同社は山崎山(天王山)上に遷座し、山上の神はやがて天王社と呼ばれるようになり、山も天王山と呼ばれるようになっていった。さて、今日同社には非常に珍しい重文の神輿庫が残されている。一般によく用いられる形の木を積み上げた校倉形式ではなく、厚さ約14cmの厚板を積み上げた板倉形式で建立されている。この板倉形式の遺構は非常に少なく、重文に指定されているものでは、奈良市内の春日大社にあるものが唯一であるが、それは江戸時代のもので新しく、現存する板倉としては当庫が最も古く非常に貴重な建造物である。
昭和六十一年三月 大山崎町教育委員会
本殿です。1813年(文化10年)に焼失し、1820年(文政3年)に再興されました。
(訪問時は修理中でした)
鎌倉時代中期建立といわれる神輿庫は国の重要文化財に指定されています。1999年(平成11年)に修理されました。
現存する日本最古の板倉造建造物で、庫内には室町時代以前作という神輿2基が納められています。
現在はフェンスに囲まれているため近づけません。
山崎城址のある天王山山頂にのぼる際にはこの酒解神社の境内を通ることになります。