国府山城は黒田官兵衛が羽柴秀吉に自らの居城である姫路城を譲ったあとに移り住んだ城として有名です。司馬遼太郎の「播磨灘物語」にも、このときのふたりのやり取りが描かれています。この城の初代城主は、薩摩氏長の子孫で『太平記』で有名な妻鹿孫三郎長宗で、長宗は「元弘の戦」で赤松円心に属して功を立て、その功によって妻鹿地方を領有するようになり、この地に城を築いたといわれています。その後、官兵衛孝高の父・黒田職隆が姫路城から移り居城としており、1585年(天正13年)に職隆が没したことに伴い廃城となりました。現在、妻鹿町内の住宅街には黒田職隆の廟所があり、町民から慕われています。
国府山城を訪問した223人の報告によれば、平均見学時間は34分、平均評価は2.93点となっています。
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