別名 桧原城、政宗城、政宗塁、小谷山城
檜原城は伊達政宗が会津攻略の軍事拠点として築いた城です。1584年(天正12年)に政宗は桧原峠を越えて蘆名領へ侵攻すると穴沢氏の戸山城と岩山城を攻略し、さらに蘆名氏の柏木城を攻めたが落とせなかったため、米沢街道を監視できる位置にこの城を築いて米沢へ撤退しました。その際、家臣の後藤孫兵衛信康が城番をつとめました。1589年(天正17年)の「摺上原の戦い」に勝利した政宗は黒川城に入城するも、翌年の「小田原の役」さらに「奥州仕置」により、会津に蒲生氏郷が入ると間もなく廃城になったと思われます。現在城址には土塁や堀切、横堀などの遺構が残っています。なお山麓にも外構えと呼ばれる曲輪が設けられており、その大半は1888年(明治21年)に磐梯山の噴火によってできた桧原湖の湖底に沈んでしまいましたが、わずかに土塁や堀の一部と馬出しが残っています。
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