別名 桧原城、政宗城、政宗塁、小谷山城
檜原城は伊達政宗が会津攻略の軍事拠点として築いた城です。1584年(天正12年)に政宗は桧原峠を越えて蘆名領へ侵攻すると穴沢氏の戸山城と岩山城を攻略し、さらに蘆名氏の柏木城を攻めたが落とせなかったため、米沢街道を監視できる位置にこの城を築いて米沢へ撤退しました。その際、家臣の後藤孫兵衛信康が城番をつとめました。1589年(天正17年)の「摺上原の戦い」に勝利した政宗は黒川城に入城するも、翌年の「小田原の役」さらに「奥州仕置」により、会津に蒲生氏郷が入ると間もなく廃城になったと思われます。現在城址には土塁や堀切、横堀などの遺構が残っています。なお山麓にも外構えと呼ばれる曲輪が設けられており、その大半は1888年(明治21年)に磐梯山の噴火によってできた桧原湖の湖底に沈んでしまいましたが、わずかに土塁や堀の一部と馬出しが残っています。
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954 m( 130 m)
内郭:-- 外郭:--
伊達政宗
着工 1585年(天正13年)か
1590年(天正18年)
伊達氏
曲輪、土塁、堀
村史跡
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 954 m( 130 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 伊達政宗 |
築城開始・完了年 | 着工 1585年(天正13年)か |
廃城年 | 1590年(天正18年) |
主な改修者 | |
主な城主 | 伊達氏 |
遺構 | 曲輪、土塁、堀 |
指定文化財 | 村史跡 |
復元状況 |
更新日:2024/04/19 03:51:36
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 |
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