神吉城は赤松則村の子孫の赤松範次によって築かれた城で、範次の子である元頼が神吉氏を称すると以後代々、神吉氏の居城となりました。神吉頼定が城主の1578年(天正6年)に「三木合戦」が起こると、頼定は同じ赤松氏一族の別所氏に味方したため、織田信忠・明智光秀・佐久間信盛・荒木村重ら約3万人で攻められ落城しました。この「神吉城の戦い」は三木合戦でも随一の激戦地だったようです。現在城址は本丸跡が常楽寺の境内となっており、本堂裏にある墓地には頼定の墓があります。
神吉城を訪問した115人の報告によれば、平均見学時間は15分、平均評価は2.22点となっています。
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築地本願寺セミナー「資料から読み解く中世社会~刀狩り令で刀は没収されたのか~」に参加し、その中で講師の方が紹介されていたので、刀狩りについてもっと知ろうと思い手に取りました。この著書には日本でおこなわれた三つの刀狩り(豊臣秀吉の刀狩り、明治維新の廃刀令、占領軍による民衆の武装解除)について書かれています。豊臣秀吉の刀狩りで農民の武装解除がされ、明治維新の廃刀令で武士の武装解除がされ、世界一治安の良い日本があると思っていましたが、前者は武士と農民を区別する事、後者は一般市民と軍・警・官を区別する事が目的で完全な武装解除ではなく、実は占領軍によって民衆の武装解除が徹底的に行われたことを知りました。この著書を読んで豊臣秀吉の刀狩りに対する考えが少し変わったような気がします。
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