石弾城は大井三樹伊予守宰によって築かれたと伝わる城です。その後、播磨守護・赤松氏に従って伊予守の孫である木村源五郎が城主の1459年(長禄3年)、山名宗全によって攻められ落城しました。現在城址は泊神社の境内となっており、案内板と標柱が建てられています。なお泊神社は宮本武蔵の養子で小倉藩の筆頭家老となった宮本伊織により、武蔵の供養のために再建された神社です。
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おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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