別名 比志城、地蔵ヶ嶽城、大津城、亀城
大洲城を近世城郭として整備したのは藤堂高虎です。藤堂高虎は宇和島城とほぼ同時進行で大洲城を普請しました。その後、1609年(慶長14年)には淡路の洲本から脇坂安治が入城し、このふたりの時代に天守をはじめとする建造物が造営されています。また脇坂安治の時代に従来の「大津」から現在の「大洲」に城名が変更されたといわれています(異説あり)。2004年(平成16年)に主に市民による寄付によって完成した木造復元天守は、戦後初の当時の工法を用いて復元されたものです。
大洲城を訪問した2163人の報告によれば、平均見学時間は1時間8分、平均評価は3.61点となっています。
目次
大洲城を攻城した団員が残してくださったコメント(クチコミ)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
大洲城に関するデータ 情報の追加や修正
25 m
内郭:-- ha 外郭:-- ha
4重4階
19.15 m
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1609年(慶長14年)に脇坂安治が築いた天守は、1888年(明治21年)に老朽化により取り壊された。現在の復元天守は、大洲市市制施行50周年記念事業として2004年(平成16年)9月に竣工したもので、戦後初の当時の工法・木造で復元されたものである。本来なら建築基準法で木造では認められない規模であったが、大洲市による2年近い折衝を経て、保存建築物として建築基準法の適用除外が認められた。工事概算費用は13億円。
宇都宮豊房
着工 1331年(元徳3年)
1871年(明治4年)
藤堂高虎、脇坂安治、加藤貞泰
宇都宮氏、戸田氏(16万石)、藤堂氏(7万石)、脇坂氏(5万3500石)、加藤氏(6万石)
櫓、石垣、堀
国の重要文化財(台所櫓、南隅櫓、 高欄櫓、苧綿櫓)、県史跡
天守、多聞
登録日:2013/11/17 17:35:45
更新日:2024/11/21 15:07:07
見学情報・施設案内 情報の追加や修正
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可
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