百目木城は四本松城主・石橋氏の四天王と呼ばれた重臣、石川弾正光昌の居城です。光昌は1580年(天正8年)に小浜城主・大内定綱らとともに主家である石橋氏を滅ぼしましたが、やがて定綱との関係が悪化すると、1585年(天正13年)には定綱と敵対した伊達政宗に味方して、合戦での戦功により小手森城を与えられました。しかし白石宗実の支配下に置かれたのを不服として、相馬義胤を後楯として政宗に反乱を起こすと、政宗の軍勢に鎮圧されました。戦後は鬼庭綱元が入城しています。光昌は相馬に落ち延び、「関ケ原の戦い」では上杉景勝に仕えるなどしましたが、最終的にはこの地に戻ったと伝わります。現在城址には土塁や堀切などの遺構が残っており、国道459号沿いの登城口に案内板が立てられています。また長泉寺は石川氏の菩提寺です。
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