小浜城は大内氏の居城でしたが、大内定綱の代に伊達政宗に攻められ落城しました。政宗は芦名・会津侵攻の拠点として1585年(天正13年)年から翌年にかけてこの城を居城にしましたが、以後は白石若狭守が城代としています。その後、豊臣秀吉の奥州仕置きにより小浜城は蒲生氏郷に与えられ、家臣の蒲生忠佐衛門が城主となりました。現在も城趾には忠佐衛門によって築かれた石垣が残っています。なお、若さにある同名の小浜城との関係ですが、大内氏はもともと若狭小浜の出身であったことから地名を小浜にしたそうです。
目次
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297.1 m( 50 m)
内郭:-- 外郭:--
大内晴継
着工 1471年(文明3年)
1627年(寛永4年)
大内氏、伊達氏、蒲生氏、上杉氏
石垣、空堀、堀切、曲輪
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 連郭式 |
縄張形態 | 平山城 |
標高(比高) | 297.1 m( 50 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 大内晴継 |
築城開始・完了年 | 着工 1471年(文明3年) |
廃城年 | 1627年(寛永4年) |
主な改修者 | |
主な城主 | 大内氏、伊達氏、蒲生氏、上杉氏 |
遺構 | 石垣、空堀、堀切、曲輪 |
指定文化財 | |
復元状況 |
更新日:2024/04/20 03:33:44
小浜城へのアクセス情報 情報の追加や修正
項目 | データ |
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駐車場 |
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