船引城は相馬顕胤の娘であり田村氏当主・田村清顕の正室となった於北が幽閉された城として知られています。1586年(天正14年)に清顕が嫡子を残さぬまま死去すると、家中は於北を中心とする相馬派と、清顕の娘で伊達政宗の正室となった愛姫を中心とする伊達派に分裂しました。当時の城主、田村清康は相馬派の一角でしたが、1588年(天正16年)の「郡山合戦」を制した政宗は清康を追放し、於北を三春城から船引城に移すとともに、清顕の甥である孫七郎顕季を田村宗顕と名乗らせて当主に据える「田村仕置」を断行し、田村領を伊達氏の実質的な支配地にしました。現在城址は「館山公園」として整備され、曲輪や土塁が残っています。
項目 | データ |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | 中町公民館駐車場 |
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おそらく、八王子城の解説本の中で最も重要な一冊でしょう。
八王子城跡が現在のように整備されたのは、落城400年にあたる1990年以降のことです。本書の出版も同時期で、出版後に発見された遺構もあれば、今は目にすることのできない遺構も多数あります。言い換えると、1990年当時の八王子城跡の姿を記録した書であるとも言えます。八王子城に興味を持ってくださった方にはお薦めの一冊です。すでに廃刊となっていますので、古書店か図書館で探してください。
トンネル工事や台風・地震などにより、現在は失われてしまった石垣などの貴重な写真も多数掲載されていますが、白黒で小さいため分かり辛いのが残念。
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