別名 一乗寺城
一乗寺山城はこの地の土豪である渡辺氏が築いた詰の城であるとされています。現在の一乗寺堀の内にあった宮内少輔城(渡辺城)が平時の居館でした。また畝状竪堀などの遺構が朝倉氏の居城である一乗谷山城に酷似していることから、1570年(元亀元年)の「志賀の陣」の際に浅井・朝倉方が修築拡張したと考えられています。1573年(元亀4年)、将軍・足利義昭が織田信長と争うと、渡辺宮内少輔晶は義昭方につきましたが、義昭が敗れて京を追われると降伏します。その後は豊臣秀吉に従い、晶の子の渡辺内蔵助糺は豊臣秀頼に従って「大坂夏の陣」で討死しました。現在城址には土塁や堀切のほか、虎口などの遺構も確認できます。
目次
一乗寺山城に関するデータ 情報の追加や修正
442 m( 290 m)
内郭:-- 外郭:--
渡辺氏
1573年(元亀4年)
朝倉・浅井氏か
渡辺氏
曲輪、堀切、土塁、竪堀
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 連郭式 |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 442 m( 290 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 渡辺氏 |
築城開始・完了年 | |
廃城年 | 1573年(元亀4年) |
主な改修者 | 朝倉・浅井氏か |
主な城主 | 渡辺氏 |
遺構 | 曲輪、堀切、土塁、竪堀 |
指定文化財 | |
復元状況 |
更新日:2024/03/28 03:45:04
項目 | データ |
---|---|
アクセス(電車) |
|
アクセス(クルマ) |
|
駐車場 |
じっさいに訪問した方の正確な情報をお待ちしています。
あなたが泊まったホテルのレビューをお願いします!(レビューはホテルの詳細ページから投稿できます)
一乗寺山城について参考になると思われるインターネット上の情報へのリンクです。すべて別ウィンドウが開いて表示されます。
まだトピックがありません(情報募集中)
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する