鹿毛馬神籠石は鹿毛馬川に面した標高76mの丘陵地に築かれた古代山城です。通常「神籠石」は200m以上の高所に築かれることが多いのですが、この鹿毛馬神籠石は低丘陵に築かれていることが特徴です。現在も全長約2kmにわたって並べられた約1800個の列石が残っています。また発掘調査の結果、谷部には排水のために暗渠式(あんきょしき)の水門が2か所設けられていたことがわかりました。1945年(昭和20年)に国の史跡に指定されています。
鹿毛馬神籠石を攻城した団員が残してくださったコメント(クチコミ)です。じっさいに訪問した方の生の声なのでぜひ参考に。
鹿毛馬神籠石へのアクセス情報 情報の追加や修正
無料(約10台)
じっさいに訪問した方の正確な情報をお待ちしています。 フィードバック
鹿毛馬神籠石とあわせて訪問するのにオススメのお城です。
鹿毛馬神籠石の周辺にあるホテルや旅館を表示しています。
あなたが泊まったホテルのレビューをお願いします!(レビューはホテルの詳細ページから投稿できます)
まだトピックがありません(情報募集中)
まだ本城登録している団員がいません
攻城団の「日本史の知識をアップデートするための勉強会」の予習として手に取りました。この著書は平氏の繁栄から滅亡までを描いた敗者の記録となっています。今までは平氏が圧倒的な兵力で保元、平治の乱を勝ち抜いてきたと思っていましたが、実は源氏側の準備不足が招いた結果であり、平氏自らが抱える兵力はそれ程多くはなかったようです。この事は各地の反乱を抑えるための追討使派遣の際も後白河院の宣旨があって初めて兵が集まる形となっており、「いざ鎌倉」のかけ声の下集まってくる鎌倉幕府の御家人とは違うところで、その違いが最終的には平氏滅亡に繋がることになったと感じました。また、一ノ谷合戦の鵯越の逆落としが義経ではなく、先導役であった多田行綱が行ったことも今回知りました。このように、テレビなどの影響もあるかもしれませんが、今まで自分が理解していた内容と違った歴史に触れることが出来た一冊となりました。
攻城団のご利用ありがとうございます。不具合報告だけでなく、サイトへのご意見や記事のご感想など、いつでも何度でもお寄せください。 フィードバック
いまお時間ありますか? ぜひお題に答えてください! 読者投稿欄に投稿する