勝山御殿は幕末に長府藩毛利氏が築いた陣屋です。北に且山城、西に青山城、北東には四王司山城と中世城郭に囲まれた地に築かれました。1863年(文久3年)に攘夷を決行した長州藩は、関門海峡においてフランス軍と交戦状態に入り、海岸に近い長府陣屋(櫛崎城)は危険だったため、これを放棄して内陸に新たに陣屋を築いたという経緯があります。廃藩までの短い期間ではあったものの、長府藩の最後の居城でした。現在は「勝山地区公園」として整備され、建物は廃藩置県後に解体されましたが、石垣は状態良く保存されています。
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江戸時代の大名について詳しく知りたいと思っていた時に目に止まり、読んでみることにしました。江戸時代大小併せて260~300藩有ったと言われていますが、本書では大名の格差をテーマとして石高、将軍との関係、江戸城、江戸藩邸、参勤交代の5つに分けてエピソードを交えて書かれています。石高の大小による格差をはじめとして、将軍家から嫁をもらったり、養子をもらったした大名の家格が上げられたり、その家格によって江戸城内での将軍との拝謁の仕方や服装が違ったり、江戸藩邸では門構えや屋敷の広さに差が見られたり、最後に参勤交代の道中でかち合いそうになった場合とか宿場が同じになりそうになった場合にその大名の格差が顕著に表れる事を細かいところまで知ることが出来ました。その当時の大名たちは自分の家格を十分に認識した上で行動し、少しでもその家格を上げることを日々考えていることがよく理解できる一冊でした。
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