別名 本城、前城、後城、中城

霜降城は物部氏の末裔とされる厚東武光によって築かれた城です。14代・厚東武実は長門守護となり厚東氏は勢力を拡大しますが次第に周防守護・大内氏と対立するようになり、17代・厚東義武のときに大内弘世に敗れて九州へ逃れました。城の構造は霜降岳山頂に本城、南東の峰に前城、北東の峰に後城、西の峰に中城があったとされます。現在城址には石垣や土塁、空堀など南北朝時代の遺構が部分的に残っています。
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男山駐車場
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築地本願寺セミナー「資料から読み解く中世社会~刀狩り令で刀は没収されたのか~」に参加し、その中で講師の方が紹介されていたので、刀狩りについてもっと知ろうと思い手に取りました。この著書には日本でおこなわれた三つの刀狩り(豊臣秀吉の刀狩り、明治維新の廃刀令、占領軍による民衆の武装解除)について書かれています。豊臣秀吉の刀狩りで農民の武装解除がされ、明治維新の廃刀令で武士の武装解除がされ、世界一治安の良い日本があると思っていましたが、前者は武士と農民を区別する事、後者は一般市民と軍・警・官を区別する事が目的で完全な武装解除ではなく、実は占領軍によって民衆の武装解除が徹底的に行われたことを知りました。この著書を読んで豊臣秀吉の刀狩りに対する考えが少し変わったような気がします。
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