若山城は大内氏の重臣、陶氏歴代の居城です。1550年(天文19年)には陶晴賢が大内義隆を攻撃する前に大改修したとされます。1555年(弘治元年)、毛利元就に大敗した「厳島の合戦」後、晴賢の子、長房が守衛していましたが、晴賢によって殺された杉氏の一党、杉重輔に攻められ落城しました。現在城址には土塁や石垣、堀切のほか、畝状竪堀群がわずかに残っており、登山道には桜が植樹され地元の花見名所になっています。また、かつて陶氏家臣の登城に使われた道筋は「陶の道」の名で地元に知られ、日本ウオーキング協会「美しい日本の歩きたくなるみち500選」にも選ばれています。
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「日本史の知識をアップデートするための勉強会」にて榎本先生から紹介もあり、読んでみることにしました。幕末から明治初期に渡り、加賀藩の御算用者であった猪山信之、直之、成之3代に渡り残された家計簿その他の書簡・日記から、その当時の武士の経済状態や考えが良く解る内容となっています。猪山家が困窮する家計を如何に立て直したか、また幕末から明治にかけて時代が変わる中で猪山成之がどのように考え行動していったかが、そして当時の士族が時代の流れの中でどのようになっていったのかの一端を垣間見ることが出来ました。この本が原作となった2010年公開の映画「武士の家計簿」の中で、原作では娘の髪結に際にお金がなく絵に描いた鯛を用いたエピソードが、長男の着袴の際のエピソードとして描かれておりましたが、映画の方も楽しく鑑賞させて頂きました。
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