若山城は大内氏の重臣、陶氏歴代の居城です。1550年(天文19年)には陶晴賢が大内義隆を攻撃する前に大改修したとされます。1555年(弘治元年)、毛利元就に大敗した「厳島の合戦」後、晴賢の子、長房が守衛していましたが、晴賢によって殺された杉氏の一党、杉重輔に攻められ落城しました。現在城址には土塁や石垣、堀切のほか、畝状竪堀群がわずかに残っており、登山道には桜が植樹され地元の花見名所になっています。また、かつて陶氏家臣の登城に使われた道筋は「陶の道」の名で地元に知られ、日本ウオーキング協会「美しい日本の歩きたくなるみち500選」にも選ばれています。
目次
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217 m( 200 m)
内郭:-- 外郭:--
陶弘護
着工 1470年(文明2年)
1557年(弘治3年)頃
陶晴賢
陶氏
曲輪、石垣、土塁、空堀、畝状竪堀、堀切
県史跡
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | 連郭式 |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 217 m( 200 m ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
築城主 | 陶弘護 |
築城開始・完了年 | 着工 1470年(文明2年) |
廃城年 | 1557年(弘治3年)頃 |
主な改修者 | 陶晴賢 |
主な城主 | 陶氏 |
遺構 | 曲輪、石垣、土塁、空堀、畝状竪堀、堀切 |
指定文化財 | 県史跡 |
復元状況 |
更新日:2024/04/26 03:35:48
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項目 | データ |
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