現在は中央に石段が設けられていますが本来の虎口は左側の脇にあったそうです。二の丸は馬出のような半円に近い形をしており、砲弾が着弾時に飛び散らないように上部が土塁で造られていたそうです。
三の丸にあるものです。 日に焼けて薄~くなっちゃっています。
山県積の技法が見られます。
表門はこの上にあったそうで、現在は了圓寺に山門として移築されているそうです。
こちらには藩主のプライベートの居間などの御殿が建っていました。
山県積の石垣が特徴的です。
三の丸へ上がる大手口になります。
横矢を掛けるため、もしくは仕切のためとも考えられている突出部があります。
大手口から西側を流れる砂子多川まで石垣が伸びています。こちらも上部は砲弾への対処のため土塁造りです。
三の丸には西側を流れる砂子多川沿いにも石垣があります。
大手口横の突出部がよくわかります。 砲弾対策で上部が土塁になっています。
山県積みで組まれています。表門へ横矢を掛けれるよう出角となっています。
本丸は二段に分かれていて、かつての表(中段)は御書院など政務や面会のための御殿がありました。
中央には渡廊下があって表の御殿と奥の御殿は繋がっていたそうです。 また石垣の手前の小石が敷いている箇所は水堀(水路)跡です。
本丸奥に建っていたのですが何も刻まれていなかったです。
写真を撮ったあたりに渡廊下があり表と奥の御殿は繋がっていたそうです。
本丸奥西側の石垣は角を無くし円弧状になっています。
写真ではわかりにくいですが本丸奥西側の石垣は角を無くし円弧状になっています。
本丸表への西側虎口です。
三の丸は道路、駐車場、トイレ、遊具施設などに変わっています。
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