小松城は永井大膳大夫広秀の居城であったと伝えられる城です。片倉城の支城であったとされ、永井氏は片倉城主・長井氏の一族と考えられています。戦国時代には北条氏の支配下になり、津久井城の支城として、武田氏の侵攻に備えて整備されました。現在、館跡に建てられた宝泉寺の裏山が城址で、墓地から階段がのぼれるようになっています。遺構はほとんど残っておらず、わずかに堀切を確認することができるのみです。なお近くには、1590年(天正18年)の「小田原征伐」の際に津久井城とその支城である片倉城・小松城の城主たちが、豊臣秀吉にどう降伏するかを評議した場所があり、現在は「評議原(ひょうぎっぱら)」として有名な紅葉スポットとなっています。
小松城を訪問した105人の報告によれば、平均見学時間は39分、平均評価は2.80点となっています。
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寶泉寺駐車場
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歴史上有名人のサイン帳。花押2045点、印章393点が使用した人物名の五十音順に並んでいる。総勢1,112名には天皇、公家、僧、書家・画家などもみられるが武将、大名が大半かな。花押は肉筆なだけに人柄を想像してしまう。個を立てつつ恭順の気持ちも込めてデザインを考えたのかな、筆の勢いとかバランスとか(本人 or 右筆が)何度も練習したのかなと思うと楽しい。バリエーションの豊さ第1位は伊達政宗で花押21種印章9種。細川忠興の印章で「tada uoqui」とアルファベットを使っているのには目を引かれた。雪舟や長谷川等伯らの名前もあってページをめくっていたらあっという間に日が暮れてしまった。
男性ばっかりと思うなかれ、高台院、光明皇后の印章、そして春日局の花押も掲載されている。巻末には没年順の索引があって光明皇后(701~760年没)はその筆頭だ、偉い。
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