怡土城は大和朝廷の命により、大宰大弐・吉備真備が高祖山(たかすやま)の西側斜面一帯に築いた中国式山城(大陸式山城)です。当時、新羅が日本に攻め入る気配を見せるなど、対外的な緊張が高まったことから九州北岸の防備が急務となっており、防人も動員するなど短期間で築かれました。9世紀初頭までは城として機能していたようですが、戦いに使用されることはありませんでした。その後、戦国時代には地元の豪族、原田種継が荒廃した城址を再利用して高祖城を築城しています。城址は国の史跡に指定されており、10m近い高さの土塁などの遺構が残っています。登城口は山麓の高祖神社と髙来寺の2か所にあります。案内板は山麓の行蔵院近くにあります(地図の位置)。
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300 m
内郭:110 ha 外郭:290 ha
大和朝廷
着工 756年(天平勝宝8年) 〜 竣工 768年(神護景雲2年)
9世紀初頭か
吉備真備、佐伯今毛人
土塁、石垣、堀、城門、水門、望楼跡、城壁
国史跡
項目 | データ |
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曲輪構成 | |
縄張形態 | 古代山城 |
標高(比高) | 300 m( -- ) |
城郭規模 | 内郭:110 ha 外郭:290 ha |
築城主 | 大和朝廷 |
築城開始・完了年 | 着工 756年(天平勝宝8年) 〜 竣工 768年(神護景雲2年) |
廃城年 | 9世紀初頭か |
主な改修者 | |
主な城主 | 吉備真備、佐伯今毛人 |
遺構 | 土塁、石垣、堀、城門、水門、望楼跡、城壁 |
指定文化財 | 国史跡 |
復元状況 |
更新日:2024/03/29 03:40:18
怡土城へのアクセス情報 情報の追加や修正
項目 | データ |
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駐車場 |
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