赤尾津城は小笠原光貞によって築かれた城です。その後、光貞は赤尾津氏を称して以降、赤尾津氏の居城となりました。「由利十二頭」とも呼ばれた赤尾津氏ら由利党は「関ケ原の戦い」では最上義光の指揮下に入り出羽合戦に参加しています。1602年(慶長7年)に由利郡は最上領となり、湯沢城主・楯岡満茂が城主として入り、赤尾津満茂を名乗りますが、1612年(慶長17年)には本荘城を築いて居城を移したため、その頃に廃城となったと思われます。現在城址は「高城城址公園」となっていますが、遺構はなく、曲輪跡を確認できるのみです。また1623年(元和9年)に岩城吉隆が入封した際には西麓に亀田陣屋が築かれました。
赤尾津城に関するデータ 情報の追加や修正
170 m
内郭:-- 外郭:--
三の丸跡に「高城歴史動植物展示館」という天守を模した建造物が建てられている。
小笠原光貞か
着工 南北朝時代頃
1612年(慶長17年)か
赤尾津氏、楯岡氏
曲輪
模擬天守
項目 | データ |
---|---|
曲輪構成 | |
縄張形態 | 山城 |
標高(比高) | 170 m( -- ) |
城郭規模 | 内郭:-- 外郭:-- |
天守縄張、天守形式 | |
天守の階数 | |
天守の種類 | 模擬天守 天守の分類 |
天守の高さ | |
天守台石垣の高さ | |
天守の広さ(延床面積) | |
天守メモ | 三の丸跡に「高城歴史動植物展示館」という天守を模した建造物が建てられている。 |
築城主 | 小笠原光貞か |
築城開始・完了年 | 着工 南北朝時代頃 |
廃城年 | 1612年(慶長17年)か |
主な改修者 | |
主な城主 | 赤尾津氏、楯岡氏 |
遺構 | 曲輪 |
指定文化財 | |
復元状況 | 模擬天守 |
更新日:2024/04/24 03:40:22
赤尾津城へのアクセス情報 情報の追加や修正
高城山城址公園駐車場(無料)
項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | 高城山城址公園駐車場(無料) |
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