聖山城は宇野氏の重臣、下村氏によって築城されたと伝わっています。揖保川をはさんで対岸にある篠の丸城の出城と考えられており、また北西に宇野氏の居城である長水城を一望できるなど、交通上・軍事上の要衝に位置していました。1580年(天正8年)に羽柴秀吉が長水城を攻撃した際は緒戦でまずこの城が落とされ、秀吉はここに本陣を置いて長水城と篠の丸城を攻略したと伝えられます。現在城址には遺構として土塁を確認することができます。登城口は山麓の觱篥(篳篥、ひちりき)神社にあり、約10分で本丸跡までのぼることができます。
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項目 | データ |
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アクセス(電車) |
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アクセス(クルマ) |
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駐車場 | ひじり山広場駐車場(無料) |
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豊臣秀吉と柴田勝家の雌雄を決した賤ヶ岳の戦い。この戦いで活躍した、賤ヶ岳七本槍のメンバーのその後の人生と、八本目の槍、石田三成との人間模様を描いた物語です。
福島正則、脇坂安治、片桐且元、平野長泰、加藤清正、糟屋武則、加藤嘉明、7人のひとりひりの小姓時代の呼び名で物語が構成されてます。
それぞれが違う生い立ちの中、豊臣秀吉の小姓として見出され、天下分けめの関ヶ原の戦いで、東軍についたもの、負けるとわかっていても西軍についたもの、その後の世の中の流れを見据えた石田三成が、それぞれ7人に思いを寄せ、奔走した様が描かれており、石田三成の戦旗に記された意味が読み取れます。
本の帯にある通り、この小説を読み終えた時、その男石田三成を、大好きになりました。
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