堀川城は今川氏の家臣、斎藤為吉が村人らの協力を得て築いた城です。「桶狭間の戦い」後に今川氏から独立した徳川家康は遠江に侵攻し、刑部城を落とした翌年の1569年(永禄12年)、3千の兵で攻め寄せました。一方、堀川城は農民らが立てこもり抵抗しましたが落城しました。大久保彦左衛門によって書かれた「三河物語」によれば「徳川勢によるなで斬りがおこなわれた」とされます。現在城址に遺構はありませんが、道路脇に石碑が建てられています。
堀川城を訪問した170人の報告によれば、平均見学時間は15分、平均評価は2.33点となっています。
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三浦先生が書かれた「近世城郭の作事 天守編」に続き、今回は「櫓・城門・土塀」編を読みました。特に、城門、土塀については書いてあることのほとんどが初めて知る事でした。城門の種類ですが、薬医門は安土桃山時代だけで、高麗門は文禄・慶長の役で朝鮮半島での築城時に発明され、構造は薬医門と変わりませんが屋根が小さいので防戦上で有利、屋根が小さいので用材が少なくて済むなど、関ヶ原の戦い後、薬医門から進化した高麗門に取って代わられたそうで、現在城跡に残っているのは圧倒的に高麗門で、医薬門は少ないとの事です。また、関ヶ原以前の櫓門では石落がないので、櫓門の石落は関ヶ原以降の発明と考えられるとの事を初めて知ります。土塀についても、付壁塀、築壁塀など色々な種類があるそうで、天守、櫓以外に城門、土塀にも注目することにより、新たなお城巡りの楽しみを再発見させてもらえた一冊だと思います。
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