気賀陣屋は近藤秀用の次男である近藤用可によって築かれた陣屋です。「近藤五家」や「引佐五近藤」のひとつである気賀近藤氏は、用可以降12代にわたって気賀関所を預かり、1869年(明治2年)の関所廃止まで代々この地を支配していました。なお気賀関所は、箱根関所・新居(今切)関所とともに「東海道の三関所」と呼ばれていました。1871年(明治4年)には陣屋跡に気賀小学校が設立され、現在も残っています。また小学校の前に毎年幕府に献上したという陣屋ゆかりの椎の木があり、天然記念物に指定されています。
気賀陣屋を訪問した130人の報告によれば、平均見学時間は20分、平均評価は2.64点となっています。
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江戸時代の大名について詳しく知りたいと思っていた時に目に止まり、読んでみることにしました。江戸時代大小併せて260~300藩有ったと言われていますが、本書では大名の格差をテーマとして石高、将軍との関係、江戸城、江戸藩邸、参勤交代の5つに分けてエピソードを交えて書かれています。石高の大小による格差をはじめとして、将軍家から嫁をもらったり、養子をもらったした大名の家格が上げられたり、その家格によって江戸城内での将軍との拝謁の仕方や服装が違ったり、江戸藩邸では門構えや屋敷の広さに差が見られたり、最後に参勤交代の道中でかち合いそうになった場合とか宿場が同じになりそうになった場合にその大名の格差が顕著に表れる事を細かいところまで知ることが出来ました。その当時の大名たちは自分の家格を十分に認識した上で行動し、少しでもその家格を上げることを日々考えていることがよく理解できる一冊でした。
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