鴨ヶ嶽城は高梨政盛が中野小館(高梨氏館)の詰めの城として使われました。規模の大きな山城で、鴨ヶ嶽の尾根続きの南側には「鎌ヶ嶽城」と呼ばれる出城(支城)があります。中野小館と同時期に築かれたか、もともと中野氏が物見のために築いていた砦を拡張したかは定かではありません。武田信玄が北信地方に侵攻すると高梨氏はこの地を追われ、武田氏滅亡後に旧領回復に成功したものの、1598年(慶長3年)の上杉景勝の会津転封に同行したため、中野小館とともに廃城となりました。城址には土塁や堀切、切岸など山城特有の遺構がよく残っており、一部は「東山公園」として整備されています。登り口はいくつかありますが、大悲閣観音堂のところからがハイキングコースになっていてのぼりやすそうです。
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