深溝城は十八松平のひとつ、深溝松平氏の居城として知られています。松平忠定から4代・松平家忠まで在城しましたが、徳川家康の関東移封に伴い、忍城へ移りました。家忠は「関ケ原の戦い」の前哨戦となった「伏見城の戦い」で鳥居元忠とともに討死し、その功もあり5代忠利は旧領に戻り三河深溝藩を立藩しましたが、1612年(慶長17年)に吉田城に移ったことにともない廃藩となりました。その後、板倉氏が深溝陣屋をかまえました。現在城址は株式会社三協幸田工場の敷地となっており、正門脇の道路沿いに石碑と案内板が建てられています。また幸田町六栗本郷の民家に深溝陣屋門が移築されているほか、陣屋絵図の写しが幸田町郷土資料館に収蔵されています。
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