高知城のほど近く、現在の山内神社のそばにあるホテル「三翠園」がある場所にはかつて「南御屋敷」とよばれた山内容堂の別邸下屋敷がありました。
ホテルの庭内に「山内容堂・西郷南州、会見の地」の立て札があります。西郷南州というのはいわゆる西郷隆盛のことです。
三翠園の建つ鷹匠町一帯は、藩政時代から藩主ゆかりの地として山内家に仕える武士達が住んでいました。
山内容堂の別邸下屋敷は明治維新後、山内家本邸山内家の私邸として利用されていたそうですが、戦後に売却され、大部分は三翠園の所有となり、跡地が「三翠園」となっています。
山内容堂と西郷南州の会見した場所は、「三翠園」庭内の一部として保存されています。
山内容堂 西郷南州 会見の地
慶応三年(西暦一八六七年)二月十七日薩摩島津公の命に依り西郷隆盛来藩す。
山内容堂は当邸内物見座敷此君亭に土佐藩士福岡孝弟を従へ西郷隆盛及薩摩藩士吉井友実を引見し共に時局の重大性を語り西郷隆盛は頻り(しきり)に山内容堂公に上洛を促した結果ここに肝胆相照(かんたんあいてら)し遂に明治維新回天の基礎を確立した由緒深き邸跡である。 土佐史談会長 松山秀美述
ちなみに「西郷隆盛」という名前は本来はお父さんのもので、1869年(明治2年)に正三位に叙せられた際、父の名とまちがえられたことをきっかけに名乗るようになった名前のようですね。
(それまでは西郷吉之助や西郷隆永と名乗っていたそうです)