高知城のすぐそばに「山内容堂公誕生之地」の石碑があります。
山内容堂は幕末期の土佐藩15代藩主です。藩政改革を断行し、幕末の四賢侯(しけんこう)のひとりとして評価される一方、自らを「鯨海酔候」と称し、酒を欠かさず飲んで情が入っての意見を変化させることが多かったともいわれています。
(ちなみに幕末の四賢侯にはほかに松平慶永(春嶽)、伊達宗城、島津斉彬がいます)
坂本龍馬から「船中八策」を聞いた後藤象二郎に進言され、徳川幕府老中・板倉勝静らを通して15代将軍・徳川慶喜に建白した人物としても知られています。
山内容堂(やまうちようどう)(1827~1872)
名は豊信(とよしげ) 15代藩主 酒を好み 詩や書をよくす 吉田東洋に藩政改革を命じた
幕政に参画したが 井伊大老に退けられた 土佐勤王党を弾圧するも時の流れを感じ 後藤象二郎の策をいれ大政奉還を建白
また山内神社に隣接する鷹匠公園は、山内容堂公邸があったところで、現在は石碑が建てられています。
山内容堂公誕生之地の碑
住所 | 高知県高知市追手筋2-7-11付近 |
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アクセス | とでん「高知城前」電停から、徒歩5分 |
山内容堂公邸跡の石碑
住所 | 高知県高知市鷹匠町2-4-65 |
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アクセス | 土佐電気鉄道県庁前下車、徒歩3分 |