西国将軍さんは27件のレビューを投稿しています。
検索ページ蜷川道標を語りべに描いた長宗我部氏の興亡譚。「四国の王」元親を南国人の明るい性格を備えた梟雄像に仕立て、細かなエピソードをまじえて物語を活写する。
わずか三千貫の所領から立身、土佐統一から四国平定を進められた背景など、社会経済的観点も交えた著者独自の視点が面白い。
「いろはの会」を黒幕とする新説・新解釈による「本能寺の変」は期待はずれだったけれど、500ページ超の長編を新書か漫画のようなタッチで描く著者の筆使いは、ユニークで新感覚、読み応え十分でした。
28歳の若さで武田家の指揮をとることとなった勝頼。信玄時代の老臣たちとのジェネレーションギャップに苦しみながら、偉大な父を超え、自分の思いを遂げようと進んでいく勝頼の姿が好意的に描かれる。
戦国最強軍団が、脆くも内部崩壊していく様子を、それぞれの心情とともに鮮明に表現、老臣の意見に心ならずも流されていく勝頼に歯痒く思う場面も多いが、勝頼の無念さが伝わってきて心が打たれる。
「なぜ、武田家は滅ばなければならなかったのか」と改めて考えさせらる。
著者は、武田信玄、武田勝頼、大久保長安の三部作を予定していたという。残念ながら大久保長安は実現していない。
著者晩年の作だけあって、実に読みやすい。有名な「武田信玄」より面白いかも。
章末には「信玄公記」や「甲陽軍艦」の引用が掲載されていて、原書ではほんの一行で表されている部分が、小説では背景描写・人物の心情描写等が重厚に表現されていることにも感動をおぼえた。
戦国三大梟雄の一人というあまり有り難くない称号を頂く宇喜多直家を中心とした宇喜多四代の話。それにしても、表裏者、乱世の梟雄、などといわれている直家をここまでカッコヨク描いている小説は珍しい。そこが新鮮で面白く、著者の筆力に説得力がある。事実、身一つにまでに凋落したところから、 備前・備中・美作余りを領する戦国大名にまで台頭しているのだから、それもまた宣なるかな。
織田や浅井から見た朝倉は、時代小説でよく描かれているものの、朝倉義景を主人公にしたところが興味深くて手にした。
義景は、一般的にも暗愚の将と認知されており、そんな魅力無い人物を主人公に据えてるからには、斬新な新解釈により、暗愚の将を隠れた名将として描いているのを期待したけれど、従来どおりの義景を描いているだけ。筆者の解釈や想像で創られた部分もあるけれど、基本的に史実をたんたんとなぞる展開はダラダラと感じてしまう。さらに筆者の歴史観に違和感を感じる所も多々あり、残念の一言に尽きる。
景恍の自刃、景忠の謀反、前波の離反、景紀の出奔など、前後半に山場を作れるのに。景鏡のキャラ設定も無難すぎる。武田勝頼の憐れさに等しいところがあって、もっとおもしろくできそうな題材があるのに、ちょっと残念、物足りなかった。
義景視点の作品は多くはないと思うので、興味がある人はご一読を、朝倉家興亡史の流れはわかります。
松永久秀を主人公とした歴史小説というより、久秀の主観から見た「三好長慶物語」。長慶の歴史小説がほぼ無い(知らない)ので個人的には嬉しい限り。
この長慶、足利義輝の京・追放、久秀の下剋上を許容したことで、あまり良くないイメージで語られてきたけれど、近年「幕府」という旧来の支配体制に依存せず、自ら日本を統治することに乗り出した革新的な人物と評価が急上昇中。全盛期には9カ国以上を治め、織田信長に先駆けた「天下人」、もう興味津々。
畿内の地名が分からない、登場人物が多すぎるわで、大苦戦した前回読了を反省し、和泉・河内・大和・山城・摂津の城址を制覇しての再読、畿内の地政に、日本史の上級知識を備えるとイメージが拡がって、まるで別の作品のよう、あぁいと面白し 。
司馬氏の作品にゆかりのある城を、その作品と共に紹介してある。城好きかつ氏の作品も好きな自分にはとても嬉しい。
北は五稜郭から南は首里城まで、日本全国の35城をカバーしている。いかに著者のカバレッジが広範だったかの証拠ともいえる。
データおよび補足コメントまでついているので、立派なガイドブックになっている。例えば、「丸岡城」の記述を見てみると、「街道を行く」第18巻の「越前の諸道」が引用されており、“第三層まで貫く通し柱がない” “永平寺大工の影響ではないか”などのユニークな分析がなされている。永平寺大建築のときに中国から大工を連れてきた、などとの新知識も得られる。
まあ、本書は、「日本百名城」「続日本百名城」を訪ねる人には、必読書というか、携帯して行くべきだろう。
著名な武将から末端の足軽まで様々な初陣を描く短編集。マニアックな書き方なので少し取っつきにくい所はあるけれど、東郷隆らしい戦国の厳しい現実や作法など蘊蓄いっぱい盛り込んだ興味深い話ばかり。この武将の初陣ならさもあらんというものあれば、悲惨なものまでバラエティに富んでいる。前半は痛快、後半に行くに従って戦国の非情さが出てくる。人の運命なんて分らないもの、因果応報という言葉が頭に浮かんでくる。ラストの老武士のエピソードでは厳しい戦場を生き抜いてきた男ならではの話と言葉でビシッと締めてくれる。
ぶっ飛びの面白さです‼︎
この本は、分厚い。著者の作品には、物語性の強いものと、歴史読本のような、骨太ものに分かれる。これはその後者の方。文献資料なども挿入され、上杉謙信の幼少から死期まで、丁寧に追っている。史実をきっちり追いすぎて、物語性(逸話性)などが削がれている感もあるが、その分、ありのままの上杉謙信に出会えた気分にさせてくれる作品。上杉謙信好きにはたまらない作品です。
謙信を扱ったもので川中島をラストに持ってこずに彼の生涯を通して描いた小説として本作は貴重。司馬作品ようなテンポに慣れた人やそれを期待した人には少々キツいかも。上級者向けの作品。
武田家の天才軍師 山本勘助が主人公の話。勘助は移動する人である。駿府での停滞では想像ばかりが飛躍していたのだろうが、信玄の下では機動力となって働き、足で稼いだ。小柄であること、目や脚や指にスティグマを負っていたことを反転させるかのように、常の居場所はなく動き回っているようであった。ということは移動に応じて頭も常に働いていたことになる。
トラベラーとしての勘助の重心あるいは中心には、古府の信玄というよりも、諏訪の由布姫がいるという配置である。また、風としての勘助、山としての由布姫というアナロジーも可能なのかもしれない。
しかし、井上靖の綺麗な文章で読む時代小説はいいものですね。平易な文体でとても読みやすい。
半世紀も前の作品にも関わらず、淡々とした語り口に引き込まれ、あっという間に読めてしまう。これぞ名作と言った感じ。
自然に関する描写が多く、信州に一時住んでいたけれども、あの高低差の激しい山間でよくぞ戦をしていたなぁと感心したことを思い出す。いと懐かしき。
戦国時代屈指の名将として、対照的な資質の持ち主であった武田信玄と織田信長。この異質な二人が、同時代を舞台にしながら、なぜ共に天下取りに一番近い地歩を占めることになったのか。最も後発の信長が、なぜ最終的に天下統一を果たしえたのか。本書では、信玄の不敗主義VS信長の必勝主義、強兵主義VS弱兵主義、山型思考VS平野型思考など著者独自の視点で、両雄の戦略と行動を緻密に分析。日本的リーダーの成功の条件を考察する力作。
真田信繁(幸村)の最後の刀となった「茶臼割り」という名刀の話。真田家の歴史を刀でどう語るのかと興味津々ではあったけれど、良い意味で裏切られた。メインは持ち主の海野能登守。なかなか題材にならない人物が主役の本が読めることは嬉しい。
上杉・北条・武田らの大名に囲まれた信濃・上野の小さき国衆らの生存競争を海野視点で描ききる。そして幸隆、昌幸親子が、他者視点で描かれると非常に嫌な謀略家として描かれることが多いが、本作もそうだったりする。外様で信玄に重用されるためには謀で何とかするしかなく、仕方ないのかもしれない。時勢を読む目と、小競り合いのような争いを繰り広げて、目まぐるしく戦国は動いていったんだろうと思うと感慨深い。
様々な史料に当たったうえで、淡々とした語り口に迫力があり、期待を裏切らない。
武器に詳しい作者ならではの情報量は圧巻で、刀剣類の薀蓄には、ただ脱帽する。
松本清張の描く戦国武将達は、史実を要所に散りばめながらも清張の人間観察の鋭さが目立ち、目が離せない。
キーワードのひとつは被圧迫感。
圧倒的な実力差から、圧迫される側が感じる圧迫感。結局その圧迫感に堪えきれず、折れるのは心。そういう場面を何度も見ることになる。丹羽長秀や石川数正が秀吉に対して、稲富祐直は家康に。
秀吉が愛されるわけ。
いろいろな短編に秀吉が登場するけれど、秀吉が人に好意を持たれることに清張はひとつの条件を設けているように思う。信長や長秀が秀吉を可愛がるのは、立場の目上の人間から目下の人間を見た可愛がりようで、上下の関係性において発揮されるもの。だから長秀や家康は、目下の頃の秀吉には好意を持っていたが、自分と肩を並べ一気に抜きさった秀吉には好意が敵意や反抗心へと変わる。
これは立場を追いつめられ、追い越されたからこその感情であって、逆に秀吉がもともと目上にいたものにとってはどうであったか。
私説としながら、綿密な考証がなされたとても真面目な歴史読本となっている。合戦に至るまでの経緯を概説し、その上で合戦の模様を詳述するという構成で、主眼はあくまで合戦の実際を再現すること。各陣の動きを地図上に表記するとともに、実況中継よろしく再現されている。そうしておいて、例えば『川中島の戦』では、史上有名な謙信と信玄の直接対決などを描いては、「史実的にはまことに疑わしく、ここに書いた戦況も、一種の講談と思っていただきたい」と、読者を煙に巻く。史料がいわゆる俗書しかなく、自信が持てないことを率直に表明し、見てきたような嘘はつかないという姿勢に好感が持てる。
自分としては、日本史の復習をする感じで読み進めたのだけれど、著者は随所に現代との類推を述べるので、それが面白い。自衛隊の制服組と背広組みに例えたり、サラリーマン社会の日和見的な行動パターンを揶揄したり、政治家の無責任ぶりは昔も今も変わらないと指摘したりする。歴史好きであればあるほど、この作品の目次を見て、「いまさら読まなくても」と思うかも知れないが、そこは松本清張の著作であり、一読の価値はあったように思う。
正直、興味本位で読了。もともとは戦国時代に実在した甲斐国・武田氏の戦略や戦術などを記した軍学書だけど、現代社会で戦うビジネスパーソンにも相通ずるところが多々あると感じる。好き嫌いがはっきり出ると思いながらもオススメの書です。
本書は新田氏が別著『武田信玄』で魅せた緻密な史料考察をそのままに情感溢れる外伝作品に仕上げられている。短編ということもあり、より大胆な筆致で物語が展開される。
新田氏の作品の特徴は、「読者に対する配慮」だと思う。他の作家が作品中で歴史考察を挿入するのに対し、新田氏は各章毎の終盤に自身の考察・史料の引用部分を載せるという構成を採る。このような手法は、興を削がれる人もいるとは思うが、「史実との線引き」に対して少なからず配慮を求めてしまう読者には助かる仕様と思う。
『武田信玄』を既読の方もそうでない方も、またあまり歴史が得意でない方も楽しめる文学作品になっている。
本書は、タイトルどおり、忠臣、朝敵、乱世の梟雄たちを、史実に沿って紹介するもの。簡潔で、スパッとした文章表現が小気味いい。将門、八幡太郎義家、正成、道灌、“早雲”、光秀、如水、謙信、信玄、秀吉、政宗等々。凡そ平安時代の終わり頃から、江戸時代の始まり頃までに活躍した武将たち。お気に入りは北条早雲。それまで力を持っていた守護から、関東を奪い取った戦国大名の先駆け。つまりは戦国時代を切り開いた男。これほどの英傑が一度も大河ドラマにされてない。遅咲きにして、下剋上の第一人者の生涯は、観る人を魅了するに足ると思うのだけれど。後北条創生の物語、想像するだけで心躍りませんか。
あまりテーマとして採り上げられることの少ない刀(とりわけ名刀)にまつわる伝承や奇譚を交えて描く短編集。戦国時代の武将たちが、様々なこだわりから佩刀した名刀との不思議な縁が描かれている。作者は銃や刀、武器、兵器の類や合戦、戦争などに非常に詳しくその博覧強記ぶりはこの作品にも表れている。刀というテーマや描かれる武将(人物)も地味なだけに作品として好みは分かれるかもしれない。
織田信長と明智光秀との二人が、同じ事件、同じ光景を互いに独白するという世界にも珍しい形式を採り、主従の心の葛藤に引き込まれる。
信長と光秀という「日本史の奇観」を描き切ることは難しいのだろうが、同じ題材の多くの作品群にあって史書、小説、または改革と組織の手引書として、本書が最も面白い。
戦国乱世の甲冑は、単なる武具ではなく、武将たちが野望を誇示する究極の自己表現。彼らは競い凝った意匠の甲冑を身にまとい、我こそはと戦場を疾駆した。本書はそうした鎧と兜に関する奇譚、奇談を集めた短編集、武将たちの夢、出世、野望、そして無念の死を抱えた6つの甲冑の秘話が収められている。織田信長、豊臣秀吉、蒲生氏郷、前田利家、井伊直政ら、名だたる武将ばかり。筆者は群を抜く豊富な知識と伝記的物語づくりで定評があり、うらうちされた知識に基づく、物語のくみ上げ方が緻密で恐れ入る。逆を言えば、歴史に造詣が深くないと読み込めない、玄人好みの作品。一般的な歴史物語で満足できない方にお勧めの一品です。
小説とは違い、小西行長という謎の多い武将の足跡を文献から辿る一種の伝記のような本。
堺の町を運営していた有力商人・会合衆の一員であった小西一族。彼らが持つ財力と水上輸送力、そして、それらを自在に切り回すことのできる能力を秀吉に買われたことから、一気に権勢を誇るよう。秀吉統治前後の時代背景もしっかり書かれてあるので、堺の町をめぐる情勢が勉強になる。
信仰に生きた高山右近の姿を理想としながらも、同じようには生きられなかった行長の苦悩と焦燥、孤独感が描かれていて、右近のように全てを擲って「神の世界」に自らを捧げるほど純粋ではなかった、そんな行長の姿を、遠藤さんは否定的な目で見てないのが随所に伺える。
読みどころは、やはり行長が「活躍」する文禄・慶長の役。秀吉の誇大妄想から始まった愚かな戦を終息させるために、身を削って朝鮮・明に講和を求めた行長の姿が、切迫感に溢れている。
清正側視点からはとかく敵役として扱われることの多い行長だけれど、同じキリスト信者である作者により人間・小西行長の人物像をよみがえらせた本作は読みごたえがあった。
謀将!
梟雄!!
って響き良いですよね。卑怯、狡猾、非道だとかの意味の裏で「頭良いんだぜ、フフン」って確実に言ってる、と思う。
それはそうと、本作は、備前の梟雄・宇喜多直家の幼少期から、仇敵・島村貫阿弥入道を倒すところまでのおはなし。幼少の直家は、普段は愚鈍な様子を振る舞い、ヘラヘラ笑いながら鼻水垂れ、奇声を発する阿呆なお子さまなんですが、危機的状況での本気モードがカッコ良い、そのギャップたるや大層な魅力。
全体的に見ると、普通の歴史小説なんだけど、所々罠のようにドカンとした引き付け場面が仕掛けられてるので油断はできない。仇討ちシーンなんて数行なのに、えらく印象深い。篝火を背にして床机に腰掛け、周囲にずらりと弓勢を並べて不敵に微笑む直家の顔が容易に想像できる、カッコよい‼︎
乙子村に所領を得てからの展開がどうにも駆け足だったのは残念だけれども、この作品、我が郷土、馴染みの場所が描かれていることもあってか、期待以上に愉しめた。
元々「貂の皮」が読みたくて購入、いままで読んだ司馬短編のなかでもダントツ面白い。
さて、主人公の脇坂甚内(安治)、徳川初期の豊臣系大名の生き残りにして、賤ヶ岳七本槍のひとり。
特段の才はなく、只真面目で平凡な人物であったけれど、丹波の雄 赤井家に伝わる家宝「貂の皮」の霊験のお蔭か、大名として家名を永らえる基を作る。
やはり、日本という国は、率直に才を示し過ぎると足元をすくわれるのか、「出る杭は打たれる」「能ある鷹は爪隠す」というけれど、「大事な処世術だな」と改めて感じた。
ついでに書くと、関ヶ原では西軍に属しているにも関わらず、加増されている。藤堂高虎の曲芸よりも上をいっている。ほんとに「めでたい」というほかない。
のっけから城址の一番の楽しみは縄張りであり、天守閣などは大工仕事と切り捨てるあたり、激しく共感。
大きすぎないお城と、大きすぎない町がいい。……お城とその城下町に関するエッセイで、著者がいわゆる城マニアだとは知らなかった。挿絵はもちろんイラストレーターの著者によるもの。ゆったりした雰囲気で、歴史の話を交えつつ、お城に思いを馳せる本は、イラスト同様にほどよく緩く、難しすぎないのがいい。地図で城址を見つけては、そこを訪ねる旅の楽しみ方を教えてもらった。それぞれの紀行のなかに著者のエピソードがあり、楽しく読める。「春樹君」と村上春樹を呼べるのは、きっと著者だけのことだろう。
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