こうのさんは39件のレビューを投稿しています。
検索ページ戦国時代に起こった数々の「合戦」にフォーカスして、「なぜその合戦は起きたのか」から「合戦はどのように経過したのか」を地図などで図解し、さらに「合戦の結果、その地域の情勢はどう変化したのか」まで解説してくれます。
香川さんが描かれた全126点の鳥瞰復元図が見れるだけでもすばらしいのに、A3の大きさで印刷されているので細部の描き込みまではっきりわかります。けっして安くはないのですが、それだけの価値がある1冊です。
攻城団の江戸城ガイドツアーでガイドをつとめていただいた黒田さんの著書。この本を読んでガイドをお願いしようと決めた本といったほうが正しいか。
ツアーで案内していただいた皇居東御苑を歩くコース以外にも江戸城の遺構をめぐることができるさまざまなコースが紹介されているのでオススメです。
いまでも定期的に読み返す一冊。たまたま見かけたこの本のおかげで攻城団にマンガという武器が加わったと思うと感慨深いです。攻城団で発表した作品を収録した続刊も出版したいと思ってます。
二条城二の丸御殿、名古屋城本丸御殿の障壁画についての解説がある(ほかにも南禅寺や知恩院などいろいろ)。解説の対象が部屋のどの位置の襖かを鳥瞰図で示してくれてるのでわかりやすい。
最近ちょこちょこと読み進めている本。寝殿造りから書院造りの流れについて勉強したくて買ったけど、寺社仏閣だけでなく城郭建築も少し紹介されてます。
ちょっと高いけどイラストが豊富でわかりやすいですよ。
こんな本を買う人なんているのかと思うけど、持ってます。212人の戦国武将の旗指物が網羅されていて、それこそ真田幸村の旗印は有名ですが、真田幸隆、信綱、昌幸、信之とファミリーがそれぞれ自分の旗印を持ってることは知りませんでした。
「買うほどか?」というと微妙ですが、ライブラリで保管してあるのでいつかみんなに見てもらいたい。
2007年(平成19年)に名古屋市博物館で開催された特別展「本丸御殿の至宝―重要文化財 名古屋城障壁画―」の図録。すべての障壁画がその位置とともに掲載されている珠玉の一冊だけど市販されてないのでいまとなっては入手困難。
「そもそも家康は江戸を自ら選んだのか、それとも秀吉に選ばされたのか」という疑問が導入になっている。あらためて問われるとこれはなかなか興味深い。一般的には秀吉が家康を京・大坂から遠ざけるために関東に追いやったという逸話が有名ですが、これは秀吉の嫌がらせに耐えた家康を英雄化するためのストーリーをつくる企みがあったのだろうとか(これは水江漣子氏の説を引用)、多面的に歴史を捉えなおそうとするスタンスがじつにぼく好みな本です。
ほかにも「(江戸がそんなにいい場所なら)なぜ北条氏は小田原を、源頼朝は鎌倉を拠点にし、江戸に目をつけなかったのか」という問題提起もいいですね。これは利根川を境にそれより東側はいわゆる独立志向の豪族が支配していたためで、その最前線に太田道灌が本格的な城をかまえることになったのはまさに東側地域(古河公方の勢力)と戦うためであるというのはなるほどなあと感心しました。
そして北条氏が利根川を越えて支配地域を広げていくのは越相同盟後だというのも納得で、上杉謙信に味方していた東側地域が後ろ盾を失うことで臣従していくことになります。
つまり家康が江戸を中心にできたのは、北条氏によって関東における東西対立が解消され、すでに整備発展を遂げていたからで、関東入封時の江戸はけっして荒れ果てた寒漁村ではなかったという話です。
著者の岡野さんは現在は皇學館大学の教授ですが、かつて江戸東京博物館で学芸員をされていた方です。本書はもともと講演のテーマだったそうですが、すごくおもしろい講演を聞いてるかのように読みやすい本でした。
いつか講演をお願いしたいくらい。
「マンガでわかる丸岡城」の取材時に一筆啓上茶屋で購入。めちゃくちゃ充実している本で、このレベルの史料本がすべてのお城で揃ってくれたら、また攻城団がその一助を担えればと、感動と嫉妬と発奮という多くの感情が生まれました。著者の宮本さんはすでに亡くなられていることが残念でなりません。ぼくらのマンガも読んでいただきたかった。
6年前に開催された「二条城展」の図録。当時はそこまで興味や関心がなかったので開催されてることすら知らなかったけど、じつに悔やまれる。せめて図録だけでもと古本で入手したけど予想通り素晴らしかった。
なかでも大きく拡大された屏風の写真と、巻末の詳細な年表はありがたい。
郷土史家、永井太一郎さんが書かれた二条城の詳細な研究本。あまりに詳しいのでたぶん読む人を選ぶと思うけど、二条城に興味を持ってより深く学びたいと思った人であればぜひ読むべき一冊だと思う。ひとことで言うと「すごい」本です。
大岡越前や遠山の金さんといったテレビでおなじみの「奉行」だけじゃなく、板倉勝重や曲淵景漸、池田長恵など一般的にはよく知られていない名奉行のエピソードも多数紹介されています(ぜんぶで43人)。
自分が知らないだけで、歴史上にはこんなにもたくさんの魅力的な人物がいたのかと驚きますね。
何度「団長公記」のネタに使わせてもらったかわからないくらい、いろんなことが書いてある良書。「改易大名データファイル」とかこのデータだけでひと晩語り明かしたいくらい。
書いてあることの半分も理解できていないけど、狩野山楽について丁寧に紹介されている。「京狩野すごい」や「山楽は天才」というありきたりなスタンスではなく、むしろ「ほかの狩野派の面々が永徳の才能にひれ伏して早々に別のスタイルを模索したのに対して、山楽は最後まで永徳に追いつかんともがいた人」としてちょっと不器用な人扱いになっている。だけど、だからこそ寛永期の二条城改修において曲がりなりにも永徳様式で障壁画を描けたのは山楽だけだという評価にもつながっていておもしろい(「松鷹図」のことです)。
図版も多数収録されており、図版と評論で二度楽しめます。海北友松のパートは勉強不足でまだちゃんと読めてないです。
「NIKKEIプラス1」に掲載されている専門家が選んだランキングをまとめた一冊。本書に収録されている「1日で散策満喫、ほどよいサイズの城下町」にはぼくも回答させてもらいました。
明智光秀の生涯と、丹波および福知山での業績についてまとめた本。小和田先生が監修されている。新説の主張ではなく、各種史料にある情報を整理するといった内容なので最初にこれを読むといいかも。
50個ほどあるという「本能寺の変」の動機説がどの史料の記述にもとづいて主張されているのかを知るだけでも勉強になったし、史料をもとに妥当性を検証していくプロセスはおもしろかったです。
太田資正(三楽斎)の名前は知っていたものの、その知識のほとんどは佐竹氏の客将時代のもので、岩付城主時代の活躍や、息子に城を追われた話などはぜんぜん知らなかった。合戦でも活躍した名将だけど、反北条同盟を画策したり、武田氏や上杉氏から佐竹氏への取次を頼まれるなど軍略家として見たときの資正は相当な傑物であると思う。
であるにもかかわらず秀吉から「三楽斎ほどの者が一国も取れぬ不思議よ」と言葉をかけられるほど、戦国時代というのは個人の力量だけではどうにもならない無情さを感じますね。
太田氏の歴史から、現在訪問できるゆかりの地の紹介まで、非常に充実した一冊です。
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