東京に首都機能が集中してしまったのはなぜか、という疑問に答えるには、その原点ともいうべき「家康はなぜ江戸を選んだのか」という疑問を解明する必要がある。中世東国の水運からその謎解きを試みる。
気になっていたので購入して読みました。
非常に平易でわかりやすい文章したのであっという間に読み終えましたね。
なぜ江戸を選んだのか?という点について、なるほどと思いましたが、ではなぜそれまでの統治者は鎌倉や小田原を選んだのか?と思っていたら、次の章で見事に説明されていました。うーん、やられました。その章で紹介されていた関東を利根川を境に東西に分けて大豪族層と中小国人層という分類、見方があるというのをはじめて知りました。非常に良い本だと思います!
家康が「なぜ江戸を選択したのか」ということについて「なぜ」のアンサーに至るまでを、さまざまな文献を紐解きながら、環境・背景・勢力の変化を教えてくれます。思考するときには「補助線」をたくさん持つことが重要だと言われますが、この本のタイトルそのものが「そういえば、なぜ江戸に拠点をおいたの?」「どうして江戸という名称になったの?」という源流を知ることに気付かさせてくれました。自分が住んでいた街の名がでてくるのもなんとなく楽しい。
「そもそも家康は江戸を自ら選んだのか、それとも秀吉に選ばされたのか」という疑問が導入になっている。あらためて問われるとこれはなかなか興味深い。一般的には秀吉が家康を京・大坂から遠ざけるために関東に追いやったという逸話が有名ですが、これは秀吉の嫌がらせに耐えた家康を英雄化するためのストーリーをつくる企みがあったのだろうとか(これは水江漣子氏の説を引用)、多面的に歴史を捉えなおそうとするスタンスがじつにぼく好みな本です。
ほかにも「(江戸がそんなにいい場所なら)なぜ北条氏は小田原を、源頼朝は鎌倉を拠点にし、江戸に目をつけなかったのか」という問題提起もいいですね。これは利根川を境にそれより東側はいわゆる独立志向の豪族が支配していたためで、その最前線に太田道灌が本格的な城をかまえることになったのはまさに東側地域(古河公方の勢力)と戦うためであるというのはなるほどなあと感心しました。
そして北条氏が利根川を越えて支配地域を広げていくのは越相同盟後だというのも納得で、上杉謙信に味方していた東側地域が後ろ盾を失うことで臣従していくことになります。
つまり家康が江戸を中心にできたのは、北条氏によって関東における東西対立が解消され、すでに整備発展を遂げていたからで、関東入封時の江戸はけっして荒れ果てた寒漁村ではなかったという話です。
著者の岡野さんは現在は皇學館大学の教授ですが、かつて江戸東京博物館で学芸員をされていた方です。本書はもともと講演のテーマだったそうですが、すごくおもしろい講演を聞いてるかのように読みやすい本でした。
いつか講演をお願いしたいくらい。
タイトル | 家康はなぜ江戸を選んだか (江戸東京ライブラリー) |
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著者 | 岡野 友彦 |
出版社 | 教育出版 |
発売日 | 1999-09-01 |
ISBN |
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価格 | 1620円 |
ページ数 | 185ページ |
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