永徳没後の文禄から慶長年間(1592〜1615)にいたる桃山後期画壇は幾多の個性が一斉に芽を吹き成長し花を咲かせた。中でも海北友松と狩野山楽は、ともに近江国生まれながら対照的な活動をした画家であった。友松は圧倒的な量感とほとばしる気迫で妙心寺花卉図屏風や建仁寺襖絵群を制作した。一方山楽は理知的な画面構成や草花小禽を加える工夫で大画面の活性化を図った。天球院等を紹介。
書いてあることの半分も理解できていないけど、狩野山楽について丁寧に紹介されている。「京狩野すごい」や「山楽は天才」というありきたりなスタンスではなく、むしろ「ほかの狩野派の面々が永徳の才能にひれ伏して早々に別のスタイルを模索したのに対して、山楽は最後まで永徳に追いつかんともがいた人」としてちょっと不器用な人扱いになっている。だけど、だからこそ寛永期の二条城改修において曲がりなりにも永徳様式で障壁画を描けたのは山楽だけだという評価にもつながっていておもしろい(「松鷹図」のことです)。
図版も多数収録されており、図版と評論で二度楽しめます。海北友松のパートは勉強不足でまだちゃんと読めてないです。
タイトル | 新編 名宝日本の美術 (21) 友松・山楽 (小学館ギャラリー) |
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著者 | 川本 桂子 |
出版社 | 小学館 |
発売日 | 1991-07-10 |
ISBN |
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価格 | 1800円 |
ページ数 | 171ページ |
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