2018年、最初のバッジとして「唐造(からづくり)」を公開しました。
一般に天守の形状は望楼型と層塔型に分類されます。
層塔型天守は藤堂高虎が工事期間短縮のために考案して、今治城がその最初だといわれていますが(異説もあるとか)、この「唐造」はこうした構造による分類とはちがって、外観上の特長を指しています。
国内でも3例しかないので非常に珍しい、変わった形状の天守です。しかも現存しているものはひとつもなく、小倉城と岩国城が再建されているもののその外観は余計な装飾があったりして正確ではありません。
日本において巨大な天守が全国各地に建造されるのは「関ケ原の戦い」から「大坂の陣」までの間ですが、1609年(慶長14年)頃からは徳川家康により五重天守の建造に規制がかかったらしく、国持大名クラスでないと建造できなかったようです。
しかし明確な通達があったわけではないので、有力大名たちは自主規制をしていました。豊前40万国の大名であった細川忠興も1610年(慶長15年)に建造した小倉城の天守の4重目の屋根を廃して、5重目の床面を張り出させて屋根の代わりとしました。その結果、4重天守として申請したわけですが、このいびつな形状が「唐造」となりました。
(「唐」には珍しいという意味があります)
なお、その2年前の1608年(慶長13年)に竣工した岩国城の天守が国内初の唐造らしいのですが、なぜ吉川広家がこのような形状の天守を築いたのかはわかりません。
ちなみにこの天守はわずか7年後の1615年(元和元年)に一国一城令により破却されています。
上記のように、岩国城は望楼型、小倉城は層塔型であることからも唐造は天守の構造とは無関係です。
あくまでも下階の屋根の代わりをするために、上階の平面(城の場合は廻縁)を大きく張り出してあれば唐造といってよいでしょう。
ちなみに津山城の5重天守は森忠政が小倉城天守を模して築いたとされますが、唐造については取り入れなかったようです。ただしこれも(幕府の嫌疑を免れるため)4重目の屋根は板葺きにしてあり「あれは庇(ひさし)であり、5重ではなく4重天守である」と言いはったそうです。
(こういう人は大物だと思う)
あと佐賀城も唐造だという説もありますが、たしかではないため今回は入れていません。もし情報をお持ちの方がいたら教えてください。
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