江戸時代、徳川幕府が265年もつづいた理由にはいろいろありますが、そのひとつにの大名の国替(転封、移封)を頻繁におこなったという点があげられると思います。
それによって引っ越し代で財政が圧迫され、地元の領民との強いつながりを築きにくくして、反発の機会そのものを与えないという幕府のこの政策は、天下普請や参勤交代と同様に政権の安定化に大きく貢献したと考えられています。
じつはこの大名の国替がいまを生きるぼくらにもかかわっているのをご存知ですか。
それは食文化です。ほかにも生活慣習とかいろんな文化が大名とともに伝わっていますが、とくに食文化についてはいまでは郷土料理として地元に根付いているんです。
なかでも象徴的なのは「おそば」です。
おそばといえば「信州そば」が有名ですが、信濃の諸藩から他の地域に転封となった大名がそば職人を引き連れていったため、全国各地に広まりました。
具体的には「出石そば」は1706年(宝永3年)に上田城から出石城に移った仙石政明によって伝えられています。
ほかにも「高遠そば」は1643年(寛永20年)に高遠城から会津若松城に移った保科正之によって、「出雲そば」は1638年(寛永15年)に松本城から松江城に移った松平直政によって、そして「越前そば(越前おろしそば)」は松代城から高田藩を経て、1624年(寛永元年) に福居城(福井城)に移った松平忠昌によって伝えられたといわれます。 (「越前そば」については徳川家康の二男・結城秀康の付家老・本多富正が京都から伝えたという説もあるようです) 攻城団では「コンテクスト・ツーリズム(文脈による観光)」を推奨していて、こうした食文化も立派なコンテクストだととらえています。 これらのおそばはルーツは同じ信州でも、各地に根付き、独自のそば文化として定着しています。「出石そば」と「越前そば」なんてぜんぜんちがいますもんね。 こうして飛び地のようにひとつの食文化が派生して、現代まで残っているその原因が徳川幕府の政策にあったと考えるとなんだか楽しくなってきませんか。江戸時代のことをもっと知りたくなってきますよね。というか、ぜんぶのおそばを食べつくしたくなりますよね! きっかけはなんだっていいんです。 攻城団はおそばの食べ歩きだって(それがお城や大名につながるなら)大事なコンテンツとして取り上げて紹介していきます。 ぜひ全国各地のご当地そばを城めぐりとともに食べ歩いてくださいね。 バッジの挑戦をお待ちしています! 「ご当地そば」のバッジに挑戦する豊臣秀長の家臣・本多利久が城主をつとめ、日本三大山城のひとつとしても知られる高取城にも攻城団のチラシを置いていただきました。観光案内所「夢創舘」で入手できます。
つづきを読む江馬時盛が築城し、のちに飛騨一国を与えられた金森長近が大改修をおこなった神岡城にも攻城団のチラシを置いていただきました。高原郷土館で入手できます。
つづきを読む国史跡に指定されている奥飛騨の国人・江馬氏の本拠地、江馬氏下館にも攻城団のチラシを置いていただきました。江馬氏館跡公園で入手できます。
つづきを読む蜂須賀正勝の子である蜂須賀家政によって築かれ、日本100名城に選ばれている徳島城にも攻城団のチラシを置いていただきました。徳島城博物館で入手できます。
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