(この記事は2011年1月に自分のブログに書いたものを転載したものです)
行くのがむずかしい城は数あれど、サービスエリア内にある城はたぶん日本でここだけ。もちろん城跡ですけどね。
敏満寺城は名神高速道路の多賀SA(上り)にあります。
滋賀は思いっきり雪が積もっていて、関ケ原から彦根のあたりまでは積もるどころかまだ雪が降ってたんですけど、城跡と雪は最悪の組み合わせですね。どこがどこやらわからない。
たぶんこのへんが土塁。雪のないときにもっかい来ないとわかりません。ぎゃふん。 この敏満寺城の歴史は諸説あるらしいんですけど(天台宗寺院である敏満寺が城塞化したとか、じつはぜんぜん関係ないとか)、どうやら浅井長政や織田信長とも縁のある城のようです。 現地にあった案内板によると、こんな感じ。室町時代に湖東の一大寺院と化した敏満寺は、その勢力ゆえに守護大名佐々木氏や京極氏とたびたび対立するようになります。"応仁の乱"以降は山門の一翼をにない、ことあれば僧兵を動員することになり、寺は要塞化した軍事拠点となっていきました。 そして戦国時代、永禄五年(1562)に浅井長政の攻撃を受けた久徳氏に味方したため長政に攻められ、当時一二十以上あったという坊舎は炎上焼失してしまいました。 さらに、元亀三年(1572)には織田信長の命に応じなかったことから、残りの坊舎をことごとく焼かれ、寺領も取り上げられ、衰微の一途をたどっていったのです。 慶長年間(十七世紀初頭)には残った礎石も彦根城普請のため運び去られました。 造園部一帯は、昭和六十一年五月〜昭和六十二年三月まで発掘調査が行なわれ、調査の結果、十五世紀末から十六世紀末にかけての遺跡であり、高く盛られた土塁、深く掘られた空堀から、要塞化した寺院遺構と考えられ、櫓、建物、門、井戸等の跡及び土器類も出土しています。ふつうは焼かれた城でも石垣だけは残っているんだけど、石垣すらない城址というのはだいたい付近のお城に運ばれてます。この城の石も彦根城に再利用されてるんですね。 さすがに誰もこんなところに来てません。ぼくの足あとだけ。 踏み込んだ穴は10センチ以上ありました。靴が濡れて冷たいです。 場所は多賀SA(上り)の奥にあります。本線合流前にあるガソリンスタンドのところなので、スタバの横を抜けて行きます。ドッグランができるちっちゃい公園があるスペースが城址です。 より大きな地図で 敏満寺城周辺マップ を表示 [追記] ちなみに練馬城はとしまえんの中にあるので、入園料を払わないと攻城できません。いつか行こうと思うんですけどね。
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