(この記事は2011年9月に自分のブログに書いたものを転載したものです。神奈川県藤沢市はぼくが当時住んでたところです)
藤沢市にある唯一の城(城址)「大庭城」にいってきました。

駐車場は無料です。ただ公園として訪問される方が多いので、時間帯によっては満車のこともあるかも。
管理事務所内にパネルが展示されてました。期間限定なのかな。
もともとこのへんは荘園だったらしいですね。
その後、大庭氏が築城して、さらにそれを太田道灌が改修したらしい。その後も北条早雲が攻め落としたあとに改修してるそうなんですけど、鎌倉に玉縄城を作ってからは利用価値が低くなって廃城になったと。
(たしかに藤沢市と鎌倉市はとなりでかなり近いです)
それにしてもこういう関東圏にあるちょっと古めの城を訪ねるたびに感じるのは太田道灌のすごさです。わかりやすいところでは江戸城ももともとは太田道灌が築城してますし。江戸城を改修した藤堂高虎よりもはるかにすごい築城の名手かもしれません。
太田道灌は最後暗殺されちゃうんだけど、この人があと5年長く生きてたら、あるいは5年早く死んでたら歴史は大きく変わっただろうなあ。そのくらい大きな役割を演じた人です。「太田道灌△!」って感じ。
大庭城はいまは大庭城址公園になっていて、こんな感じのだだっ広い公園になっています。
子どもが野球してたり、おじさんがジョギングしてたり、野鳥ウォッチングしてる人がいたり、日曜日ということもあって人は多かったです。
でも城址として来てる人は残念ながらいなかったみたいでした。
公園内の記念石碑です。
遺構は土塁や空堀が確認できるくらい。
こういう城址って現地にいくとその大きさを実感できるんだけど、たしかに大庭城も大きかったです。登って降りてするだけでいい散歩になりました。
あと、大庭城には北条早雲が攻めてきた際に悲しい伝説があるんですよね。
北条軍がこの城を攻撃した際、城の前面と左右に広がる田のあたりは一面の沼地であった。攻略しかねた北条軍の武将達は、軍議を重ねたが、いたずらに対陣の日が過ぎていった。これがその舟地蔵です。
ある日、城の対岸の稲荷(小字名)でボタ餅を売っていた老婆に北条方の武将の一人がどうしたらいいものかと相談したところ、「わけはありません。堤を切れば水は干上がります」と堰(せき)の場所まで簡単に教えてくれた。
喜んだ武将は、大事がもれるのを恐れ、老婆を斬り殺し、その夜のうちに堰を壊したので、満々と城の周囲に湛(たた)えられていた水は、すっかり引いてしまった。
北条勢の正面からの総攻撃により、さしもの大庭城も落城してしまった。哀れな老婆の死を悼んだ土地の人々が城跡のそばに地蔵様を建てて祀(まつ)ったのが、舟地蔵である。地蔵様は、左手に宝珠をもっているが、土地の人々は、これは宝珠ではなくボタ餅だと言っている。 藤沢市|藤沢を知る「大庭城」
なにも斬る必要はないだろうって思うんですけどねえ。
こういう話を知るたびに、学ぶことの楽しさを実感します。もちろん教科書には載ってないし、知らなくても困りゃしないんですけど、なんていうのかな、こういうことを知ってるだけで人生が少しだけ豊かになると思うんです。
大庭城ひとつとっても、太田道灌、北条早雲、徳川家康......と著名な武将がどんどん出てきて、歴史の連続性もよくわかる。
みなさんも地元のお城にちょっと出かけてみませんか。
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